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2015年4月29日 (水)

麗らかな昭和の日

内田樹氏がこんなことを言ってます。→ 「国旗国歌に関する国立大学への要請に反対する声明」  

国旗を掲揚し国歌を斉唱するよう要請することは、「学問の自由と大学の自治を揺るがしかねない大きな政策転換」というほど危険なことでしょうかねえ。

大学における研究や学者の言論が国家権力によって弾圧された事例をいろいろ挙げていますが、現在、左翼知識人が圧力と感じているのは、国家権力によるものではなく、正常に戻りつつある日本の言論界の状況に他なりません。

他の国では何の問題もなく扱われている国旗や国歌に日本でこんな拒絶反応が起きるのは、戦後「これまでの日本は悪い国家だった。これからは民主主義国家に生まれ変わる」と徹底的に教え込んだGHQと、それを国体破壊のチャンスに利用した左翼勢力によるものだということに気付いてほしいと思います。

「国旗掲揚」「国歌斉唱」という普通の行為をこれほどまでに強硬に拒絶するということは、それが「日の丸・君が代」であれ何であれ、国旗・国歌というものを断じて認めないということなのでしょう。

いや、認めないのでなく、国家から押し付けられるのが危険だと言っているのだ、と彼らは言うでしょうが、「国旗を揚げない自由、国歌を歌わない自由」を言い立てるのがそもそもおかしいと私は思うのです。

この人たちは、他のこと、例えば「天皇」についてはどう思っているのでしょうか。

世の中には天皇の存在を認めないという人はいるでしょう。でもその人たちは日本に天皇がいてはいけない、などと表立っては決して言いません。
「天皇制を廃止すべき。こんなものが存在する国体を国民に押し付けるべきではない」などとは言いません。

 

私たちは立憲君主制を「押し付け」られているのか、それとも、民主主義によってそれを国民自ら「選択」しているのか。

サヨクの勘違いは「国家対国民」の構図でものを考えるところにあるでしょう。革命に憧れた若いころの癖を治せないままなんでしょうねえ。

「憲法は国民による国家に対する命令である(立憲主義)」という主張をしているわりには、「国は国民の頭上に位置し、我々を支配していろいろなことを押し付けようとする。だからその頭上の敵と闘い続けなければならない」という思い込みがとても強いです。

民主主義国家ならば国家は国民自身ではないでしょうか。国家が国民を支配しているとしたら、それは自縄自縛という意味ではないでしょうか。

日本という自由で豊かな国でたっぷりの恩恵を受けて暮らしているので、国旗国歌を押し付けるなという程度のささやかな抵抗をしてみたいのかもしれません。
しかしこういう知識階級の人々のそういう発信に影響を受けやすい人も少なくないので、民主主義国では政治を決めているのは国民自身だということをわかってもらうのはなかなか難しいものです。

真に警戒すべき国家権力とは、国歌斉唱の慣習の中になんかありませんよ。

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コメント

内田さんは、こういうのを見てどう思うんでしょうかねぇ。
http://www.gettyimages.co.jp/detail/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E5%86%99%E7%9C%9F/royal-baby-fanatics-camping-outside-the-lido-wing-of-st-marys-%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E5%86%99%E7%9C%9F/471343402

投稿: | 2015年5月 1日 (金) 23時26分

★お名前のない方へ

画像ありがとうございます。微笑ましい光景です。
イギリスもロイヤルベビーの誕生に熱狂する人やそうでもない人いろいろいるでしょうが、少なくとも自国の国旗や国歌を忌み嫌う人はまずいないでしょうね。
内田さんのような人は、一生「国旗国歌を拒否する自由」だとかなんとかにこだわり続けていくのでしょうから、もうしようがないとして、私たち一般人はそういう人たちの言うことに引きずられないよう気をしっかり持つしかないですね。

投稿: robita | 2015年5月 2日 (土) 10時32分

五月晴れですね。
筋違いなコメント、と言われそうですが、robitaさん、どうでしょう。

>私たち一般人はそういう人たちの言うことに引きずられないよう気をしっかり持つしかないですね。<

という表現、引っかかるタイプなんです。
屁理屈屋ですね。→ 自分
引きずられないようにしたいと思うのはrobitaさんであり、自分は一般人であるから、ほかの一般人もそう考える側、という書き方はいかがでしょうか。

次記事の宮台氏の発言にしても、robitaさんの文章でしか読んでいませんが、首都大学東京って、こんな荒っぽい発言をラジオという媒体で口にする人を大学教授にしているんだ!というビックリです。一旦ポストについてしまうとチェック機能がない大学システムの実証かも。かつて宮台氏はブルーセーラー(?)とかの擁護派で、少女買春も擁護していた人ではなかったかしら?それと、日本に有事があれば、僕は日本のトップよりもクリントン氏に助けを求める、とも言っていました。弁が立って、かつ、軽いタイプ、と私は思っています。

投稿: 案山子 | 2015年5月 2日 (土) 15時46分

★案山子さん

国旗国歌は大切にしましょうよ、という呼びかけのつもりなんですけど、やっぱりひとりよがりでしたかね(;´д`)もう少し書き方を工夫すればよかった(^-^;

私いつもラジオ聴きながら夕食の支度してるのですが、普段はニッポン放送「そこまで言うか」というのを聴いてます。
金曜日にはニュース解説をやらないのでTBSに合わせると宮台氏なんですね( ̄Д ̄;;
「僕の昔からの持論です」というのが口癖なんですが、色々な面でずいぶん変節してるような・・・。ワルぶって一所懸命荒っぽく喋ってる感じ。最初のころは面白がってた司会者もこの頃はひいてるのがわかります。そう、あれでも教授なんです。

投稿: robita | 2015年5月 2日 (土) 23時07分

>国旗国歌は大切にしましょうよ、という呼びかけのつもりなんですけど、やっぱりひとりよがりでしたかね(;´д`)もう少し書き方を工夫すればよかった(^-^;<

「まず自分から…」としたら、どんな時がありますか。
①祝日に国旗を揚げる
②式典で国歌斉唱に参加する
③スポーツの国際試合で日本人を応援するときに日の丸でデコレーションしたりする
④和食レストランに日の丸をあげる(苦笑。フランスやイタリアレストランのように)

私の感想
④はこれまでも習慣もないからナシ。
①は、私達の親世代家庭にはあったかもしれないけれど、そもそも旗を持っていないし、祝意を表す、という意思が希薄。
②異を唱えている人が少数派というか、周りでは不知。…実は孤独にも私は歌わない派でしたが(苦笑)、変節しました。
③国際試合の観戦をしたことはありませんが、テレビで日の丸を振って応援する姿、顔に日の丸をデコレーションした映像は日常的に目にします。

③はrobitaさんのいう、「大切に」からは外れているかもしれませんが、充分に自分の国の旗=日の丸として大いに発現しているということではないでしょうか。沢山の人がこんな映像を目にしていると思います。この路線で私達の旗も浸透していってるのではないでしょうか。
robitaさんは①していますか。そこまで皆さんに期待したいのですか。私はそこまでは強制されてくはない、凡庸派、です。

投稿: 案山子 | 2015年5月 6日 (水) 07時45分

★案山子さん

>robitaさんは①していますか。<

はい、2年前からですが。→ 「旗日」

>私はそこまでは強制されてくはない、凡庸派、です。<

「国旗国歌を大切にしましょうよ」は国旗掲揚の強制ではありません。したくなければしなければいいのです。案山子さんはそれでいいんじゃないですか。
国旗国歌も以前から比べて随分と国民の間で受け入れられるようになりましたし、仰るようにもう「大切にしましょうよ」という呼びかけは必要なくなったかもしれませんね。
ただ、「強制」と感じてしまうところにこの件に関する相当のこだわりがあるようで、「凡庸」とは程遠いんじゃないかと思ってしまいますが・・・。
国立大学に国旗掲揚国歌斉唱を奨励することに反対している内田樹さんのこだわりも相当に強いなと感じます。
でも、「強制はだめ」VS.「国立だから当然」という議論は無理だと思います。絶対に平行線から逃れられません。
「強制」と感じる人々には佐藤優氏の言う「同胞意識の確認」なんていう考え方は絶対に受け入れられないでしょう。国民としての同胞意識を持つと戦争に走る、と信じられているからです。


投稿: robita | 2015年5月 6日 (水) 09時54分

>仰るようにもう「大切にしましょうよ」という呼びかけは必要なくなったかもしれませんね。<

サッカーやテニスの国際試合では、大いに日の丸がはためいているのが現実ですし…。

でね、この手の話題になると、喧々諤々と論じる人たち(それを飯のタネにしている人たち)が、毎度のことを繰り返しているのではないでしょうか。
消耗戦っぽいです。


    

投稿: 案山子 | 2015年5月 8日 (金) 08時53分

★案山子さん

>毎度のことを繰り返しているのではないでしょうか<

まあでも5年前10年前から見るとだんだん良く(普通に)なってきているので無駄なことではないと思います。数多の言論による努力や、国際スポーツ競技などで現れる国への愛着、それに周辺国の言動も関係しているかもしれませんね。

投稿: robita | 2015年5月 9日 (土) 10時14分

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