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2015年6月17日 (水)

「絶歌」について

長谷川豊氏が、神戸のA少年による手記についての記事の第二弾を書きました。 →  http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/44447913.html
猛烈な批判を浴びたことを受け、詳しい説明をしています。

「こういうことならわかるが、なぜそれを最初の記事に書かなかったのか」というコメントも見られます。

しかし、読んでいない人に本を紹介する時、結論や自分の感想を詳しく説明することをあえて避け、「先入観なく、まずは読んでほしい」というのは誠実な態度だと思います。

私は長谷川氏の言うことがよくわかります。

10年ほど前に同じようなこと書きました。→ 「犯罪少年の心の中」

何万人に一人生まれるかもしれない特殊な人間を、どんな家族も持ってしまうかもしれないのです。

これは、加害者やその家族を責めるだけでどうにかなるものではありません。

少年犯罪の動機というものはひとくくりにはできない、ということを私たちは理解しなければならないと思います。
長谷川さんの記事に対する激しい批判が起きたことからも、多くの人が未だそれを理解していないことがわかります。

件の私の記事の最後に、≪単独で行うあれらの異様な殺人は時代にはびこる「現代病」のような気がしてならないのです。≫と書いたのは、たぶん間違っているでしょう。
時代に関係なくその「病い」は現れるだろう、ということを今では理解しています。

被害者も加害者もものすごく可哀想だ、という気持ちは前の記事を書いた当時と少しも変わりません。

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