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2015年8月31日 (月)

結党精神

維新の党が分裂しました。
離党した橋下・松井両氏に大阪系国会議員12人が合流、維新スピリットを理解する人だけを呼び込んで10月に新党結成の運びだそうです。

応援します。
やはりその場しのぎの都合だけでメンバーを集めても、国の根幹に関わる政策で一致しないようでは政党の体をなしません。まずはしっかりとした国家観を持った政治家に集結してもらいたいと思います。

昨年末、維新の会が結いの党と合併するために次世代の党を切り捨てたことを私はとても残念だと思っていました。「維新の会」は「結いの党」よりむしろ「次世代の党」に近いとも思っていましたし、いずれ維新と結いはギクシャクするのではという予感もありました。

結局こういうことになってしまいましたが、ドタバタ劇からもわかってくることは多いですし、政治家の根幹を成す国家観の重要性や政治手法などをこういった経験の積み重ねから学んでいけるのではないかと思います。

橋下さんに対して、「引退すると言ったのに」という批判がありますが、期待される政治家に「辞めないでほしい」という声が集まり、それに応えて再挑戦に燃えるのは自然なことだと思います。ぜひ強力な突破力を発揮してもらいたいものです。

この機会に民主党からも有能な議員が出てきてくれて橋下新党に合流することを望みます。

一方、維新の党の松野代表は野党再編を狙って民主党の岡田代表との会談を予定しているそうですが、維新の党残留組と岡田グループが一緒になっても、自民に対抗し得る強力な野党になるとは私には思えません。
大阪維新の言葉を借りれば、そこには「スピリット」が感じられないからです。


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関連記事: 「次世代の党がかわいそう」 


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2015年8月28日 (金)

民主党も自民党も割れたほうがいい

参議院の安保関連の審議で山本太郎議員が、米軍がイラク戦争で民間人を多数殺傷したことや広島・長崎への原爆投下など一つ一つの事例を上げ、「これは戦争犯罪ですよね?」と安倍首相にイエスかノーかを迫っていました。

≪これは完全なる国際法違反であり、戦争犯罪じゃないですか。これに対してどうしてはっきり言えないんですか、総理。総理、このことを知っているじゃないですか。それでも答えようとしないんですか、代わりに外務大臣に答えてもらって。おかしな話ですね。言えないんですね、宗主国様のことははっきりとは。過去の米軍の過ちを認められない者がどうやって戦争犯罪常習国である米国の行動をこの先ジャッジできるんですか。≫ などなど、ものすごく長いです。

当然首相は、イエスかノーか答えることを避けましたが、首相が明確に答えられない質問をしたことで山本議員は自己満足したのかな。

漫画家の小林よしのり氏などは反米感情が強いので、この質問を絶賛していましたが、なんでしょう、首相が「戦争犯罪です」と答弁するのを期待しているのでしょうかね。

もし、首相が明確に「戦争犯罪です」と答えたらどうなるんでしょう。

当然、「そんな戦争犯罪国に加担するような集団的自衛権行使を認めていいのか」と詰め寄られますよね。

総理が「そうですね。それは問題ですね」と答えたらどうなるんでしょう。

当然、日米同盟が大きく揺らぎます。

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一国が理想と正義を掲げるだけで存続することが可能であるならば、世界の紛争にはいっさい関わらないことです。アメリカにかぎらず、大抵の国は脛に傷持ってるものですからねえ。
そのかわり、他国の介入や侵略を受けた時にいっさい第三者の助けを求めるべきでなく、単独防衛を覚悟しなければなりません。

国際安全保障体制には加わりたくない、しかし自国が危機的状況の際にはたとえアメリカのような悪い国にでも助けてもらいたい、ってかなり虫のいい話ですよね。そんなの通りませんよ。

山本議員は「アメリカは戦争犯罪常習国だ」と言いながら、日米同盟だけはそのままにしておこうという考えなのでしょうか?
なんだか変ですねえ。
日米同盟破棄を提案しているのか、それとも継続すべきと考えるのか、イエスかノーではっきり答えてほしいものです。

安倍首相だって、ぶっちゃけた話したいでしょうねえ。
「悪い国とだって連携しなけりゃ日本は生きていけないのだよ。日本がつぶれたら元も子もないだろが」って(笑)

山本議員、いい大人なんだから総理にそんな子供みたいな質問しなさんな。

弁舌の滑らかさだけはなかなか見事なものだと思いますよ。自己顕示欲の強さゆえでしょうね。
国家のことを真剣に考えているとは思えないので、舌の滑りの良さだけでは立派な野党にはなれないでしょうが。

立派な野党議員といえば、昨日のニッポン放送「ザ・ボイス そこまで言うか」のゲスト、民主党の長島昭久氏などはそれに当たるでしょうね。ぜひ放送を聞いてみてください。レギュラーコメンテーター青山繁晴氏との話は非常にわかりやすく納得できるものです。→ https://www.youtube.com/watch?v=5cl0X1WPnzY

なぜこんな人が野党でくすぶっているのだと思えるような議員が民主党には結構いるんですよね。

幹部の意向に逆らえないなら、離党はいかが?橋下・松井両氏、松沢成文氏らも離党したことですし。


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2015年8月25日 (火)

憲法改正に賛成していただけるでしょうか?

前記事に案山子さんからコメントをいただきました。 

国際政治学者三浦瑠麗さんの安保法制についてのブログ記事に対する法案反対派の有識者の意見を聞いてみたい、とのことです。 

≪日本の安全保障環境をめぐる情勢認識が最初にあって、それを踏まえてどのような安全保障政策が必要かという議論が必要だということです。その上で、必要な安全保障政策を実現するために法律論はこうなるという順序でないと、話がおかしくなります。≫(三浦瑠麗氏のブログ記事より)

案山子さんもご指摘のように、「日本ではまだまだ少数派の認識」と三浦さんは書いておられますが、「安全保障を法律論だけに押し込めてはいけない」という考え方は、専門家・素人にかかわらず安全保障問題を真面目に考えている人々(右派と言ってもいいと思います)の間では、共通認識となっているのではないでしょうか。

それでも三浦さんが「少数派」と言わなければならないのは、日本ではまだまだ護憲派が幅を利かせており、「憲法違反」という「法律論」に押し込める考え方のほうがこの日本社会では大勢を占めているからですね。

右派の中では広がっている認識も、あらためて「ああそうか、まだ少数派だったんだ」と痛感させられます。

今日の午後の国会中継を遅い昼食を取りながら見ていたのですが、民主党の広田一議員が、「昭和47年の政府見解は法律論なのか政策論なのか」「その時点での見解が法律論によるものであるならば、今の安保法案は憲法違反だ。安倍政権独自の勝手な解釈と思うが如何。」などと延々と質問を繰り返し、政府の方も、「当時と今は情勢が大きく変わった」と何度も何度も同じような答弁を繰り返し、まさに神学論争的やりとりが繰り広げられていました。食べながらですので、何とか聞いていましたが、食べ終わってテレビを切りました。

案山子さんは、「robitaさんのお考え、ということでしょうが、左翼の人たちは事態を理解していない、今の保守こそが正論、と連呼されていますね」と仰るけれど、別に気分で何度も言ってるわけではなく、私だけの考えでもなく、前述のような頑固なところが世界の常識と違う日本の左翼や野党の特徴だというのはまともな人ならわかっていることではないでしょうか。

「保守の方が正論だと連呼している」と見られるのは仕方のないことかもしれませんが、左翼の頑迷さを何とか理解していただかないと、今日の民主党議員のような不毛な質問がこれからも繰り返されるでしょう。国会運営は一日に3億円かかるらしいです。もったいないですね。

>三浦氏のブログ記事に対する今回の法案反対派の有識者の意見を聞いてみたい<
>その私の中のジレンマを解いてくれる識見を求めている状態です。<

残念ながら無理だと思います。
例えば内田樹さんのような安保反対派は三浦瑠麗さん等によって書かれる法案賛成の論文を読む気がないと思いますよ。

反対派は人の話を聞かずに自分の言いたいことを言っているだけなので、納得できる識見は反対派からは得られないと思います、いくら待ってても。

内田樹さんは、集団的自衛権論議が盛んになり始めた頃から、ずっと反対意見を書き続けていて、その内容は容認派の論をまるで読んでいないと思えるような一方的なものばかりでした。
安保法制賛成派の意見には全く興味がないのではないでしょうか。
強く議論を申し出ても、おそらく応じないでしょう。これは内田氏だけではなく、左翼全体の傾向だと思います。

日本は「国を守るべき」という右派と、国防に関して全く現実的でない左派、というなんとも不思議な分かれ方になっています。
一つの国なのだから右も左も土台は同じであるべきじゃないでしょうか?

こういう特殊な「左翼」は、国民がそのことを理解しさえすればいずれ表舞台から消えていくはずです。
そして残るのが「健全な左翼」ではないでしょうか。

この役を担えるのは、私思いますに大阪の橋下徹氏のような政治家ではないかと思います。

国家観を持っている。現実を踏まえた議論で与党に挑むことができる。与党の考えに賛成するところは賛成する。自分の思い違いに気づき潔く改めることができる・・・こういった健全さを持つ今どき希有な政治家だと私は評価しているのですけどね。是非国政に出てほしいものです。
健全な野党党首として、首相との目を瞠るような論戦が期待できるんじゃないでしょうか。

>法治国家としての日本のスタンスは維持しなくてはならない。国語的にはどうしても、憲法違反だし。<

日本が国際社会の連携から離れて引きこもるつもりがないなら、憲法改正は必要だと思います。

しかし、なぜ無理やりの解釈をして安保法制を通そうとしているかといえば、憲法改正はこの日本では恐ろしく困難だからだと思います。

「集団的自衛権行使を容認するならまず憲法改正するのが筋だ」と主張する人々の多くは、いざ国民投票になったら反対すると思います。

一度憲法改正に失敗すれば再度の挑戦までの道のりはさらに長いものとなるでしょう。
やはり現実的な対処をする他ないのではないでしょうか。

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関連記事: 「健全な野党」 

             「健全な野党になりさえすれば」 

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2015年8月22日 (土)

改憲の機運

前記事に案山子さんからご意見をいただきました。

右派や左派の区分けは良くない、というご指摘は今までも何回か受けていて、その都度、私は「人々の考え方が多様な今の時代、たしかに右翼・左翼、保守・革新の区分けはあまり明確な意味をなさなくなっている。しかし、人々の傾向が大きく二つに分かれているのは事実なので、考え方を対比して述べる際、文章を読みやすくするため、便宜上そのわけ方を使うことがある」と説明してきました。
現に専門家の書いたものを読んでも、「左派は・・・」とか「保守派は・・・」などの記述を普通に見ることができます。

人の思考は複雑で、単純に振り分けることはできませんが、無関心な人々を含め、大きく「ある傾向」が二つあることは認めてもいいのではないかと思います。

人々の思想、とりわけ日本国民が他国と大きく違っている点があります。

それは、愛国心や同胞意識に対する忌避の気持ちを持っている国民を「左翼」と呼ばなければならない日本の特殊な事情です。

たしかに戦争の高揚感は「愛国心」や「同胞意識」を招き寄せます。逆だと言う人もいるでしょう。愛国心や同胞意識の強さが戦争を招き寄せるのだ、と。

人間は戦争をする生き物で、これからも小競り合いは続いて行くでしょう。

それは「愛国心」のせいでしょうか。

私はそうは思いません。

自分たちの種を残すために他種と戦うのは生き物の宿命でありますから、それをやめて全てを分け合おうと言うのは簡単ですが、それを言っても詮無いことです。

本当にそんな気があるなら、誰か国連かどこかでそれを提案してみればいい。誰もそんな気はないのです。

戦争を起こすのは愛国心ではなく、人間の欲です。

たしかに外国でも、愛国心の高揚や強すぎる民族意識から排除の論理が導かれるとして危険視されることはよくあります。

それは愛国心が悪いのでなく、過激な思いを募らせる○○主義者が問題なのです。

愛国心も同胞意識も決して邪悪なものではない。

国家は悪いものだと思い込まされた日本人はこの点で目覚める必要があります。

日本は敗戦後、すっかり自信をなくし民族の誇りを捨て、金儲けに邁進してきました。
そのことは物質的に日本人を豊かにしてきましたが、日本人としてのバックボーンを失ってしまった・・・・・、これは保守派のみなさんからはいやというほど発せられているメッセージですね。

いやというほど発せられてはいるけれど、その原因がどこにあるかを言おうものなら、左翼のみなさんから異論が出て、原因を探って正そうという動きは抑えられてしまいます。

日本ではなぜ愛国心が忌み嫌われるのか、日本の左翼の本質は何か、その左翼思想によってどれだけ日本人が誤解されているかを、私は考え続けてきました。

慰安婦問題は、「従軍慰安婦という虚偽」であったことが明らかになったはずなのに、隣国は相も変わらず日本を責め続けます。

南京大虐殺などの大袈裟すぎる作り話や、捕虜虐待、強制労働など日本だけが特別に極悪であったかのような言説も国際的に流布されています。

私たちは中国や韓国のこういった狡猾な戦略に怒りを覚えますが、怒るべき相手は本当は「内なる反日勢力」だということに気がつかなければならないと思います。

私たち日本人自身が一致団結して堂々としていれば、他国の中傷など怖くないはずなのです。

「内なる敵」を真っ当な方向に導くことが最も大事なことだと思います。

濡れ衣を晴らすべく一致団結するのは悪いことでしょうか?

慰安婦問題が盛んにメディアで取り沙汰されていた頃、我が事として怒り、懸命に冤罪を訴えた人々がたくさんいましたが、あまり怒らない、あるいは全然関心がないように見える人もいました。

この違いは「同胞意識」の有無だろうと思います。

国が辱めを受け国際社会から理不尽な扱いを受けても、直接自分が被害を被らないことだから、他人事としか思えない、国のことは自分とは関係ないと思っている、・・・そういう感覚の人はあまり怒りを覚えなかったでしょう。

でも多くの人は、自分の父あるいは祖父が無実の罪を被せられているのと同様に辛く感じ、怒りを覚え、なんとか冤罪を晴らさねば、と思ったはずです。

家族を助けたいという気持ちと同じく、同胞、先祖、国の名誉を挽回したいと切に願ったのです。

でも日本の中には愛国心も同胞意識も国家そのものも大嫌いな人々がいます。

「日本には過去の悪行を反省しないこんな悪い奴がおるのでございます」と中国や韓国に言いつけるがごとくの朝日新聞のような報道機関があったとしても、国民がその異様さに気づきさえすれば、かの新聞も態度を変える可能性がおおいにあるでしょう。

朝日新聞は購読数は減少したようですが、存続しています。なぜでしょうか。朝日の考え方に共感する人がまだまだいるということです。
TBS「サンデーモーニング」やテレビ朝日「報道ステーション」なども一定の視聴率を保っているから終わらないのでしょう。

自分の国を悪く言いたがる、冤罪に怒りもしない、日本さえ大人しくしておけばどんな国とでもうまくやっていける、・・・こういった日本人のおかしな思考回路はいったいどこからきたのか、それを理解することが、日本が背骨を取り戻すためにまず必要なのだろうと思います。

私は論文のひとつも書いたことのない平凡な主婦ですから、文筆を生業とする人々のような立派な文章を書く能力はありませんが、一般人がこうやってネットに自分の考えを述べる時、専門家と同水準の論理力や説得力が求められるとも思いません。

「こんなこと書いていいのだろうか」としり込みしないで積極的に自分の考えを述べたほうがいいと思います。でないと、こんなにネットが発達しているのに国民の議論の場はいつまでたっても盛り上がらず、議論は専門家だけのものになってしまいます。

私は長年の日本人の思い込みだけはなんとか正したいと思いますし、祖国愛という土台は右派左派共通のものだということを言い続けたいと思います。

国というものに関して共通の認識を持たなければ、いくら「違憲法案はだめ。改憲するべき」と言っても、改憲の気運そのものが高まらないのではないでしょうか。

日本を骨抜きにした憲法9条は、日本人は手足を縛っておけば悪さをしない、というお仕置きのようなものです。
そんな憲法を前提にして、防衛のための法律を作ろうとしているのですから、安保法制の議論がややこしいのは当然です。

日本は改憲しなければならない。
そして改憲を成功させるためには、国民の間にその機運が高まる必要があります。それは当然のことではありますが、その高まりが尋常でなく難しいのが日本人なのです。ここを乗り越えさえすれば、きっとうまくいくのではないでしょうか。

こんな文章力で、どれだけの人がわかってくださるかわかりませんが、共感していただければこんな嬉しいことはありません。

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文章の中で、「保守」や「左翼」を多用しましたが、その都度その文章に合うような他の言葉に言いかえると読みにくくなってしまうと思います。だから便宜上使わせていただきました。

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2015年8月19日 (水)

学者もいろいろ

「漢字の意味を確かめる学問の遊びに陥って、文章をわきまえないこと」を「訓詁(くんこ)」というのだそうです。政治評論家屋山太郎氏の「正論」で知りました。→http://www.sankei.com/politics/print/150807/plt1508070009-c.html

屋山氏は
「一部の憲法学者たちは「訓詁学」をしているがごとくである」と、集団的自衛権行使を違憲と主張する学者を批判しています。

学者が言葉の意味を学問的に追究するのは当然であり、自由にやればいいと思いますが、国家の存立に関わることを、杓子定規に言葉だけを当てはめて是か非かを論ずることはできないでしょう。それは私のように学問のない者でも理解できます。
ましてや、その学者に国の方針の決定権などあるはずがありません。


この「専業主婦カテゴリ」で数少ない時事問題のブログを書いていらっしゃる風来さんは哲学者の梅原猛さんの書いたものを好んでお読みになるそうですが、安倍政権の防衛政策に関して梅原氏が「今の日本は昭和10年ごろに似て戦争を肯定している空気を感ずる」と書いているのを読んで
、「意外とこんこんちきな頭だったんですねえ」と(笑)→ http://fuurai12.exblog.jp/21549960/   

まあ、学者というものは往々にして世の中というものがよくわかってないということがあるかもしれませんね。

「研究に没頭して戦争が始まったのも終わったのも知らなかった学者がいたそうな」という昔聞いた話は、おそらく「頭は良いが世間知らずの学者」を揶揄した例え話だと思いますが、これほど極端でなくても、いわゆる専門バカというのでしょうか、頭が良いのに頭が悪いというなんとも不条理な脳をお持ちの方はたしかにおられるようです。

生存のために必要なことは何か、なんて基本的で現実的なことは意外と市井の人の方がわかっているんじゃないでしょうか。

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2015年8月16日 (日)

若き保守派論客

私はこのごろ三浦瑠麗さんという国際政治学者に注目しているのですが、この人の総理談話に対する論評に好感を持ちました。→  http://blogos.com/article/128470/

談話にいちゃもんをつけている人たちはこれを読んで少し冷静になってほしいものです。

保守派の中には、三浦さんが日本国内の右派と左派の対立構造を寛容に受け止めるような書き方をしていることに釈然としない人もいるかもしれません。日本の場合の左右の対立は普通の国とは事情が大きく異なり、左派の歪んだ思想は正されるべきものであるからです。日本の左翼は健全な左翼ではありません。

しかしながら、今の時点で、そこを性急に正そうとすることはせっかく高評価を得ている談話によって広がった好ましい環境を悪くしてしまいます。
三浦さんの記述もそういう判断のゆえではないでしょうか。

反日とも言える不健全な考え方は日本のあらゆるところに知らず知らず浸透していったものなので、その勢力との戦いは過激なものであってはならず、地道な努力を積み重ねることによって一般の人々の理解を徐々に得ていくという方法が良いと思います。

そういう運動を進めるにあたって、若い世代から三浦さんのような力のある保守論客が出てきたことは誠に心強く、これからの一層の活躍に期待します。

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2015年8月15日 (土)

青空が見えた

安倍総理による70年談話は未来志向を基軸にしたもので、70年もの間、平和を保ち続けている国の首相が語るにふさわしい内容だったと思います。

「あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」ときっぱり言い切ったことは、このまま卑屈な態度を未来永劫続けていかなければならないのか、という圧迫感を感じ続けてきた多くの日本人に、希望の光を見たような気分にさせてくれたのではないでしょうか。

立場や考え方の違うどんな人からも文句のつけにくい、工夫が凝らされた文章だったと思います。

それでも民主党の岡田代表、村山元総理、テレ朝「報道ステーション」、TBS「NEWS23」などは、「安倍総理自身のお詫びの言葉がない」などと批判していましたが、揃いもそろって、何が何でも日本を卑屈な国にしておきたい人たちなんですねえ。こういうのを「自虐的」というのですよ。

談話に先だって、夕方からフジテレビで「みんなのニュース」という番組をやっていました。
その中で脳科学者の中野信子さんからこういう発言がありました:


≪人間は戦争をする生き物です。その前提で対処法を考えないと間違えてしまう。「自分への戒め」として謝罪をし続けることは自己評価を低くし、自分の中に「○○」(聞き取れませんでした)を溜めていく。そのことが再び戦争につながっていくんです≫

生き物の宿命を理解したくない人たちからの反発があるだろうに、テレビでこのことをきっぱりと言い切る中野さんの勇気と知性を高く評価したいと思います。

中野さんの言う通り、今も世界は戦いに満ちています。
この現実を直視し、その上で戦争を食い止めるための知的戦略を図ることができるのが、生き物の中で唯一人間だけなのです。

反省や謝罪を繰り返すだけでは戦争を防げるはずがありません。

だからこそ、積極的平和主義の旗を高く掲げる安倍首相の今回の談話を、謝るだけの外交と決別し、自信を取り戻した日本人として平和貢献のために胸をはって歩き出す出発点としなければならないと思います。

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 関連記事: 「強くなるしかない」  

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2015年8月13日 (木)

辻元清美が首相になったら

もう集団的自衛権・安保法制のことは色々な人が書きつくし、話題に上っても、いつもいつも同じ議論が繰り返されるだけなので、書くほうも読むほうもいい加減うんざりだと思うのですけど、今朝のテレビ朝日「モーニングバード」で、100歳の元朝日新聞記者むのたけじ氏がインタビューを受けているのをたまたま見てしまうと、やっぱりおかしいものはおかしいと言っておかないとなあ、と思うのです。

この番組を多くの人が見て「はあ~、なるほど~」なんて感心しているのでしょうかね。

検索してみると、早速ブログやツイッターで多くの人々が感激の言葉を書き連ねています。

あるブログにはこんな風な記述が見られました。

≪むのたけじさんは「人類が本気で愛し合えば戦争は起こらない。命ある限り声を上げ、平和を築くために最後の日まで懸命に生き続けたい」と力強く語った。≫

だからそれを中国や北朝鮮やテロリストのところに行って言うのならまあ気持ちはわからなくはないですけど。

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今の日本は戦争前夜にそっくり、だと言うのですが、どこがそうなのか説明できないに違いありません。どうしてかというと「感情」でしかものを語っていないからです。

今の日本は「無謀な戦争」に突き進もうとしているのでしょうか? 当然そうではありません。

他国を侵略しようとしていますか? してませんよね。


「戦争は最も残酷で愚かな行為なんです。だから決してやってはいけない。→ 
だからいま安倍政権が進めようとしていることは間違っている」

という言い方は果たして意味をなしているでしょうか?

戦争は残酷で愚かだからやってはいけない、・・・これはいいんです。しかしその次、「だから集団的自衛権は認めてはいけない」には決してつながらないのです。

「集団的自衛権を認めなければ単独防衛しかない。その覚悟が日本国民にあるのか」と何度も何度も繰り返し、多くの人が詳しく丁寧に説明しているにもかかわらず、そこはいっさい聞く耳持たず、カルト宗教のように「戦争は反対なのだ。だから安保法制に反対なのだ」と呪文を唱えるだけの頭の構造はいったいどうしたらいいものか。

知的で冷静であるべきジャーナリズムが、その呪文を繰り返し繰り返しテレビで放送するのです。

むの氏にインタビューしたジャーナリスト玉川徹氏の「反省するということは決して自虐的ということではないのです。むのたけじさんの言葉を噛みしめたいと思います」って締めの言葉、何言ってるんでしょうねえ。ピントがずれまくりでしょう。なぜ気がつかないのか。というか、そんなことまでして視聴者を間違った認識に導いて安倍首相を引きずり下ろしたいんでしょうかねえ。

マスコミにとっては残念なことでしょうが、たとえ安倍氏が首相を降りて、他の誰が政権に就いたとしても、日本国の存立に責任があるという自覚を持っている指導者ならば、当然のことながら集団的自衛権を行使するための法律を整える方針は変わらないのですよ。

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2015年8月11日 (火)

団塊世代の大事なお仕事

元ドイツ大統領ワイツゼッカーの戦後40年に際しての演説には、ホロコーストはすべてナチスの責任であるとして、謝罪の言葉は見当たらないそうです。
それを「狡猾」というのか、あるいは歴史学者の山内昌之氏が今日の産経新聞コラム
≪歴史の交差点≫に書いているように、「国民を必要以上に卑屈にさせないための政治家としての大切な仕事」をしただけなのでしょうか。

それはこういうことでしょう。「ワイツゼッカーはドイツの誇りを守るために狡猾さを発揮した」

政治家には国民を守る義務がありますから、そのためには策略が必要だということです。

日本人は正直・誠実・謙虚などの点では定評がありますが、そういう美点がかえって取り返しのつかない事態を招いてしまうことが国際政治においては多々あります。それを私たちはすでに何度か経験してきました。

≪元大統領はどの国に対しても祖国ドイツを必要以上に卑下させず、「足に枷をかけた上に首まで軛(くびき)に差し出す」ような事態を後世の国民に経験させまいとしたのである。彼は、未来の子孫に過去への過剰な責任と謝罪の意識を残すまいとする装置を巧みに編み出した。≫と山内氏は書きます。

ワイツゼッカーは自分がどう思われようと、ドイツ国民の心を守ることに必死だったと思われます。それが政治家の大事な仕事なのだと。

もちろん、ドイツと日本では事情はずいぶん違います。
日本はホロコーストなどしていないことは言うまでもないのですが、GHQによる洗脳工作に見事にはまってしまったお人好しの国民性、そしてまた、中国や韓国と一緒になって日本を踏みつけようとする不可解な「反日日本人勢力」の存在など、ドイツにはない要素が大きすぎたのです。

70年もたってしまった今では、今さら総理大臣が国民を守るべく毅然とした態度で演説をしたとしてもかえって批判の嵐が巻き起こってしまうでしょう。

「国の誇り」や「愛国心」を冷笑する人々が幅を利かせている我が国では、「日本の心」を回復するのは容易なことではありません。

「洗脳」を解くには、気づいた者から次の人へ、たとえ一人でもいいから気づいてもらって、徐々に広げていく草の根の運動しかないのではないかと思います。

強引なやり方ではだめです。ヘイトスピーチなどもってのほか。

一つ良い本があります。 → 「おじいちゃん 戦争のことを教えて」小学館文庫 571円

アサヒビール副社長であった故中條高徳氏が高校生の孫娘の質問に答える形で書かれています。
字が大きく、すごく読みやすい文章で、戦争に至った経緯、日本が犯した過ち、戦後日本人が自虐思考に陥った理由、天皇は日本人にとってどういう存在なのか、グローバル化著しい国際社会で民族のアイデンティティを大切にしなければならないのは何故か、といったことについて、とてもわかりやすく述べられています。高校の歴史教育の副読本にしたらいいのにと思えるような素晴らしい著作だと思います。

こういう本を人に紹介するのも一つの方法です。

ネットで発言するのも良いし、偏向番組に抗議のメール(穏やかに論理的に)を送るのも良いし、機会があれば知人友人にちょっと言ってみる。個人でできるのはその程度ですけど、それでも何もしないよりいい。

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国会周辺のデモに参加しているのは退職後の団塊世代が多いらしいですが、そんなことやってる場合じゃありませんよ。
他世代に比べておおむね幸せな人生を送ってきたこの世代、悠々自適な人も貧乏ひまなしの人も、「後代にのしかかる笠の雪」となって残りの人生を過ごすだけでなく、日本の誇りを取り戻すことに少しぐらい時間を割いてもいいのではないかと思います。
一人ひとりは微力でも、とてつもなく大きな塊です。数の力で報国ができるかもしれません。

「国のために」とは、国家権力のために、という意味ではありません。日本の国土、そこに住む家族、仲間、みんなで作り上げたもの、継承してきたもの、それらをひっくるめて「国」というのです。

その国のために役立つことをするという行為は右翼でも軍国主義でもありません。
働いて税金さえ納めていれば国民としての義務を果たしている、というものでもないと思います。

「愛国心」という言葉に神経反射的に嫌悪感を噴き上がらせてきた日本人が、本来の健康体質に戻る時です。

高齢者には、やり残した大事な仕事があるのですよ。
 
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  関連記事: 「団塊は数、だけじゃない」 

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 (8/11 追記)

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2015年8月 9日 (日)

怖がる相手がちがうのよ

「『今の日本マジでヤバいんじゃない?』って、友達と話すことあります」・・・、安保法制について、街頭インタビューを受ける高校生がこんなことを言っている映像がテレビでよく見られます。

「ヤバいって、具体的にどういうところが?」とか、「安倍政権はなぜ安保法制を通そうとしているんだと思う?」とか質問することはいっさいありません。

高校生までが今の日本の右傾化に危機感を抱いている、といった印象を振りまくためですね。

「ヤバい」の根拠を考える思考をストップさせたまま、「軍国主義に突き進む日本」という雰囲気だけを作り上げようとしているマスコミ。

何のためか。

戦時中と同じく(逆の方向ではあるけれど)、高揚感を盛り上げて発行部数を増やしたり視聴率を上げたり、つまり金儲けのため、そして、自分たちのアイデンティティ喪失を避けるためにやっているんですね。

高校生の皆さんはこういうわかりやすい文章を読むと理解できると思いますよ。→永江一石さんの記事 

ネットを使っているのならこういう記事を読んでほしいな。

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2015年8月 8日 (土)

「怖いのは誰?」と言ってみる

BLOGOSの「マスコミはなぜ保守化できないのか?」という記事に共感しました。

コメント欄に「マスコミに思想などない。儲けることが目的の商売なのだから」といった意見が見られますが、そういう当たり前と言えば当たり前の冷めた言い方はまず置いて、占領期に巧みな刷り込みを施され無意識にそれを継承してきた日本の特殊な言論環境を指摘していくのが、ネット上で発言する者の役割だと思うのです。

ネットや言論誌などはテレビのように手軽でなく一般的ではないのでなかなか広まりませんが、それでも努力しなければいけない。

ラジオやネットでは説得力ある意見を言う人も、テレビに出ると当たり障りのないことしか言いません。

先日、ニッポン放送「ザ・ボイス そこまで言うか」にジャーナリスト末延吉正氏が出ていました。解説を聞きながら、こんなに真っ当な考えを持っているのに、なぜテレビではそういうことをはっきり言わないのかと思いました。

視聴者の反応を怖がっているのか、あるいは今さら思想を変えられないからなのか、テレビの欺瞞的方針はかなり強固で、改善することは容易ではないでしょう。

テレビや朝日新聞だけが情報源の人にどうやって伝えるかについては実際に話してみることしかないのではないでしょうか。
多くの人は、マスコミの反安倍報道に影響されて「よくわからないけど近頃の日本の動きは何となく怖い」という程度の考えだと思います。

怖いのは武力で国際秩序を乱そうとする他国であって、防御する側の日本ではない、という単純明快なことをひとこと言うだけでも人の意識は変わるかもしれません。その程度なら政治的発言もそんなに敬遠されないんじゃないでしょうか。

私たち国民がマスコミの報道姿勢を変えていくしかありません。

日本の言論空間をもっと自由にするため、このところの左派の凄まじい巻き返しの攻勢に負けないようにしなければ

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2015年8月 2日 (日)

総理談話

安倍首相の70年談話がどうあるべきかの議論があちこちで見られますが、そもそも「談話」っていったいなんでしょうね。

首相談話って国民に向けた首相のお話という意味じゃないかと思います。別に国際社会に向けた声明などという大げさなものではないですよね。

戦後70年の日本の歩みに関してのお話、ということならば普通に「この70年の越し方と未来」のお話されたらどうなんでしょう。

中国と韓国に対するお詫びの言葉を入れないことで批判されるのがそんなに怖いなら、「談話」なんて言葉やめて、「首相から国民へのお話」とかなんとかにして、国民の皆さんに日本の未来について語りかけるようなお話の仕方にしたらいいんじゃないですか?

戦争の抑止に努める、このことだけに確たる意志を持っていれば済むことだと思うのです。

それとも首相談話ってやっぱり中国と韓国に向けたアナウンスメントなんですか? 私にはよくわかりません。

70年談話など必要か、と疑問を投げかける人もいますが、中国と韓国に謝罪をするためならたしかにそれは必要ないでしょう。

しかし、いつまでも前の戦争こだわるのをやめて「未来について話そう」ということなら、安倍さんのような人が「国民の皆さん」と語りかけるのは大きな意味があるし、この節目しかないのです。戦後100年では安倍さんは首相ではないですから。
いつまでもペコペコしてばかりではいけない、誇りを取り戻そう、と国民が思えるようなお話をしてもらいたいのです。それができるのは今のところ安倍さんしかいません。

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今日も今日とて、関口宏の「サンデーモーニング」で、ジャーナリストの岸井成格氏が「どうも最近の政治は立憲主義への意識が希薄になっている。立憲主義とは権力が国民を縛るものではなく、国民が権力を縛るものです」と相も変わらぬ一つ覚えのコメントをしていました。

現行憲法自体に正当性がないのに、そんなことに固執する意味があるんでしょうかね?

だいたい私はこの西洋由来の「立憲主義」なるものを事あるごとに黄門さまの印籠のように掲げることに疑問を感じるのです。

もちろん、権力を監視するということは必要ですよ。でも国の秩序を守る方法はそれぞれの国の体制や歴史によって違うのではないでしょうか。憲法だって国によって多少構成の違いがあって当然だと思うのですけどね。
何でも欧米が標準だと思い込むのはよくない。

ラジオをつければ、ニュースの職人とやらを名乗る鳥越俊太郎がこれまた相も変わらず日本の「右傾化」をしきりに憂いています。(爆笑問題の日曜サンデー)
右傾化じゃないっつーの。わからん人やなあ。
どこが右傾化か具体的に言ってみなさい。絶対答えられないから。

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関連記事: 「憲法記念日に思った」  

        「右翼って呼ばないで」 

 

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