改憲の機運
前記事に案山子さんからご意見をいただきました。
右派や左派の区分けは良くない、というご指摘は今までも何回か受けていて、その都度、私は「人々の考え方が多様な今の時代、たしかに右翼・左翼、保守・革新の区分けはあまり明確な意味をなさなくなっている。しかし、人々の傾向が大きく二つに分かれているのは事実なので、考え方を対比して述べる際、文章を読みやすくするため、便宜上そのわけ方を使うことがある」と説明してきました。
現に専門家の書いたものを読んでも、「左派は・・・」とか「保守派は・・・」などの記述を普通に見ることができます。
人の思考は複雑で、単純に振り分けることはできませんが、無関心な人々を含め、大きく「ある傾向」が二つあることは認めてもいいのではないかと思います。
人々の思想、とりわけ日本国民が他国と大きく違っている点があります。
それは、愛国心や同胞意識に対する忌避の気持ちを持っている国民を「左翼」と呼ばなければならない日本の特殊な事情です。
たしかに戦争の高揚感は「愛国心」や「同胞意識」を招き寄せます。逆だと言う人もいるでしょう。愛国心や同胞意識の強さが戦争を招き寄せるのだ、と。
人間は戦争をする生き物で、これからも小競り合いは続いて行くでしょう。
それは「愛国心」のせいでしょうか。
私はそうは思いません。
自分たちの種を残すために他種と戦うのは生き物の宿命でありますから、それをやめて全てを分け合おうと言うのは簡単ですが、それを言っても詮無いことです。
本当にそんな気があるなら、誰か国連かどこかでそれを提案してみればいい。誰もそんな気はないのです。
戦争を起こすのは愛国心ではなく、人間の欲です。
たしかに外国でも、愛国心の高揚や強すぎる民族意識から排除の論理が導かれるとして危険視されることはよくあります。
それは愛国心が悪いのでなく、過激な思いを募らせる○○主義者が問題なのです。
愛国心も同胞意識も決して邪悪なものではない。
国家は悪いものだと思い込まされた日本人はこの点で目覚める必要があります。
日本は敗戦後、すっかり自信をなくし民族の誇りを捨て、金儲けに邁進してきました。
そのことは物質的に日本人を豊かにしてきましたが、日本人としてのバックボーンを失ってしまった・・・・・、これは保守派のみなさんからはいやというほど発せられているメッセージですね。
いやというほど発せられてはいるけれど、その原因がどこにあるかを言おうものなら、左翼のみなさんから異論が出て、原因を探って正そうという動きは抑えられてしまいます。
日本ではなぜ愛国心が忌み嫌われるのか、日本の左翼の本質は何か、その左翼思想によってどれだけ日本人が誤解されているかを、私は考え続けてきました。
慰安婦問題は、「従軍慰安婦という虚偽」であったことが明らかになったはずなのに、隣国は相も変わらず日本を責め続けます。
南京大虐殺などの大袈裟すぎる作り話や、捕虜虐待、強制労働など日本だけが特別に極悪であったかのような言説も国際的に流布されています。
私たちは中国や韓国のこういった狡猾な戦略に怒りを覚えますが、怒るべき相手は本当は「内なる反日勢力」だということに気がつかなければならないと思います。
私たち日本人自身が一致団結して堂々としていれば、他国の中傷など怖くないはずなのです。
「内なる敵」を真っ当な方向に導くことが最も大事なことだと思います。
濡れ衣を晴らすべく一致団結するのは悪いことでしょうか?
慰安婦問題が盛んにメディアで取り沙汰されていた頃、我が事として怒り、懸命に冤罪を訴えた人々がたくさんいましたが、あまり怒らない、あるいは全然関心がないように見える人もいました。
この違いは「同胞意識」の有無だろうと思います。
国が辱めを受け国際社会から理不尽な扱いを受けても、直接自分が被害を被らないことだから、他人事としか思えない、国のことは自分とは関係ないと思っている、・・・そういう感覚の人はあまり怒りを覚えなかったでしょう。
でも多くの人は、自分の父あるいは祖父が無実の罪を被せられているのと同様に辛く感じ、怒りを覚え、なんとか冤罪を晴らさねば、と思ったはずです。
家族を助けたいという気持ちと同じく、同胞、先祖、国の名誉を挽回したいと切に願ったのです。
でも日本の中には愛国心も同胞意識も国家そのものも大嫌いな人々がいます。
「日本には過去の悪行を反省しないこんな悪い奴がおるのでございます」と中国や韓国に言いつけるがごとくの朝日新聞のような報道機関があったとしても、国民がその異様さに気づきさえすれば、かの新聞も態度を変える可能性がおおいにあるでしょう。
朝日新聞は購読数は減少したようですが、存続しています。なぜでしょうか。朝日の考え方に共感する人がまだまだいるということです。
TBS「サンデーモーニング」やテレビ朝日「報道ステーション」なども一定の視聴率を保っているから終わらないのでしょう。
自分の国を悪く言いたがる、冤罪に怒りもしない、日本さえ大人しくしておけばどんな国とでもうまくやっていける、・・・こういった日本人のおかしな思考回路はいったいどこからきたのか、それを理解することが、日本が背骨を取り戻すためにまず必要なのだろうと思います。
私は論文のひとつも書いたことのない平凡な主婦ですから、文筆を生業とする人々のような立派な文章を書く能力はありませんが、一般人がこうやってネットに自分の考えを述べる時、専門家と同水準の論理力や説得力が求められるとも思いません。
「こんなこと書いていいのだろうか」としり込みしないで積極的に自分の考えを述べたほうがいいと思います。でないと、こんなにネットが発達しているのに国民の議論の場はいつまでたっても盛り上がらず、議論は専門家だけのものになってしまいます。
私は長年の日本人の思い込みだけはなんとか正したいと思いますし、祖国愛という土台は右派左派共通のものであるはずだということを言い続けたいと思います。
国というものに関して共通の認識を持たなければ、いくら「違憲法案はだめ。改憲するべき」と言っても、改憲の気運そのものが高まらないのではないでしょうか。
日本を骨抜きにした憲法9条は、日本人は手足を縛っておけば悪さをしない、というお仕置きのようなものです。
そんな憲法を前提にして、防衛のための法律を作ろうとしているのですから、安保法制の議論がややこしいのは当然です。
日本は改憲しなければならない。
そして改憲を成功させるためには、国民の間にその機運が高まる必要があります。それは当然のことではありますが、その高まりが尋常でなく難しいのが日本人なのです。ここを乗り越えさえすれば、きっとうまくいくのではないでしょうか。
こんな文章力で、どれだけの人がわかってくださるかわかりませんが、共感していただければこんな嬉しいことはありません。
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文章の中で、「保守」や「左翼」を多用しましたが、その都度その文章に合うような他の言葉に言いかえると読みにくくなってしまうと思います。だから便宜上使わせていただきました。
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コメント
おはようございます。
私の意見(軽々に右、左と区分けして物事を判断するのはいかがなものかという)に対するrobitaさんのお考え、ということでしょうが、左翼の人たちは事態を理解していない、今の保守こそが正論、と連呼されていまね。
私の前コメントで言いたかったことは、まだ、シリーズの(1)しか読んでいないのに、なんですが(苦笑)、三浦氏のブログ記事に対する今回の法案反対派の有識者の意見を聞いてみたいな、ということでした。
私のような40年間も朝日新聞の購読者だったものとしては、きちんとした反対意見に接することで、事態の理解が深まると思うのです。
法治国家としての日本のスタンスは維持しなくてはならない。国語的にはどうしても、憲法違反だし。
その私の中のジレンマを解いてくれる識見を求めている状態です。
70年安保の頃、ノンポリとかノンセクトという言い回しありましたよね。今も私ノンポリではないのだけれど…。
投稿: 案山子 | 2015年8月25日 (火) 09時48分
★案山子さん
今日の記事として書きました。
投稿: robita | 2015年8月25日 (火) 23時22分