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2016年1月20日 (水)

国の要

エネルギー政策の専門家、澤昭裕さんが亡くなった。
最後にテレビに出ておられるのを見かけたのはつい最近(1・2ヶ月前だったと思う)だったので、突然の訃報に本当に驚いた。

福島原発事故以来、放射能に対する過剰な恐怖に囚われた反原発の風潮に対し、国家戦略としての原発の必要性を冷静に説き続けていた。

まもなく命が尽きることを知りながら最後の力を振り絞って書き続けておられたようだ。 → http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5790

今まさに死にゆく人が、国家繁栄を願って綴ったメッセージとして重く受け止めたい。


澤さんのブログ記事の一つ、「原子力を国家戦略の柱に据えよ」 などといったタイトルは反原発の人々からすれば恐ろしげな印象だろうが、国を潰さない、国を存続させる、国民の生活を豊かにする、そのための戦略とはこういうことなのだとわからせてくれる。

「放射能を正しく怖がる」は、被災地の人々には理解が広まっているが、それ以外の国民にはまだまだ周知されておらず、福島の人々は今なお風評被害に苦しむ。

事故当時、誰もが恐怖に怯え、こんなふうだったことを思い出す。       →http://blogos.com/article/151911/ 

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コメント

原子力を過剰に怖がるのはナンセンスだ、単なるイデオロギー論争になっている(科学的でない)という面があるとは、私も思います。
しかし、ことの本質は「ビジネスとして、先がない」ことだろうと思います。

今、東芝の不正会計が問題になっていますが、現在指摘されているのは、買収したウェスチングハウスの原発事業の減損を引き当てしていないことです。つまり、フクシマ以後、原子力事業は「儲からない」ビジネスになりました。そんなものを高値掴みして、貸借対照表に損を計上しないので、今後、また問題が出ます。同じ事は、GEの原子力事業を買収した日立にも、早晩出てくるはずです。

さらに、電力会社も、「もんじゅ」が断念になれば、大きく減損会計になります。今は「使用済み核燃料」は、将来「もんじゅ」で燃やせる燃料として資産計上されています。それがダメだとなると、一気に負債に変わりますので、特損計上しなければならない。資産がいきなり負債に変わるのですが、そもそも完成するかどうか分からない技術を前提にした会計というのは、上場企業としては極めて特殊です。

「安全だ」「安全じゃない」とか素人でわからない神学論争は思う存分に神学が好きな人たちにやっていただければいいのですが(苦笑)誰でも理解できる「カネ勘定」の話が、私にとってはもっとも現実的に思えます。この話は、四則計算さえできれば理解できることです。

フランスのアレバも経営不振で政府管理になり、金儲けに聡い米企業はとっとと日本に原子力事業を売ってしまい、今、原発にヤルキを見せているのは中韓ばかり。あんな奴らと同じ土俵で戦う商売と思うと、私は全然明るい気持ちにならんのですね。
手抜きだろうが国の紐付きだろうが、手段を問わず激安条件で売り込んでくるはずです。

ピークの過ぎ去った、もうからん仕事は「見切り千両」じゃないか、と思うのですがなあ。

投稿: single40 | 2016年2月 9日 (火) 01時54分

★single40さん

>ことの本質は「ビジネスとして、先がない」ことだろうと思います<

そうであればもう誰も手を出さないでしょうし、原発ビジネスは自然に消えていくと思います。
それならそれで良いと思います。
国益のために原発を持続させなければならない、という専門家の意見はビジネスの観点からは間違っているのかもしれません。
ただ私はたびたび書いてきたのですが、莫大なエネルギーを生み出す核反応について、それを利用したり制御したりすることをやめてしまうのはどうかと思うわけです。

脱原発の意味は、「発電がだめなのであって、研究は続ければいいのだ」ということではないのですよね?原子力そのものを封印してしまうべきだということですよね。
つまり人間は原子核などいじくっちゃいかん、ということですよね?(核融合は放射性物質を殆ど排出しないということですが、この実用化は全く見えていませんから)
物質探査の旅を続けるのが人類の宿命じゃないんでしょうか。原子力技術の封印はなんだか真理に目を瞑ってごまかしているように見えてしまいます。
それに世界中で稼働中の原子炉が現にあるからには、これから事故が起きないとも限らず、それに対処するための原子力技術は継承・発展させていかなければならないと思うのです。

もんじゅも廃炉にするには実に惜しい技術じゃないでしょうか。
発電しながら使った以上の燃料を作れる原子炉だなんて、理論上は可能なわけだから、お金さえふんだんにあれば実験が続けられるのにねえ。
でも完成するかどうかわからない技術には投資はできないのであれば仕方がありません。

>金儲けに聡い米企業はとっとと日本に原子力事業を売ってしまい<

アメリカはシェールガスがあるので脱原発でもやっていけるんでしょう。
日本も原発を使わないんだったら、近海に膨大に埋蔵されているメタンハイドレートの採掘にもっと熱心になればいいと思うのですが、これも不安要素を抱えているので容易に手を出せないということなんでしょうかねえ。

>「安全だ」「安全じゃない」とか素人でわからない神学論争は思う存分に神学が好きな人たちにやっていただければいいのですが<

安全(事故が起きるかどうか)の問題と金勘定の問題は別に見えるかもしれませんが、根拠としての出発点は同じだと思いますよ。
だって、そもそも放射能がそんなに怖いものであるかどうかからきてる話なんですから。
なぜか神学論争に見えてしまうのでしょうが、「大量ならば危険、少量なら危険でない」、という単純で当たり前のことを理解すれば済むことなんですよ。

それでも、チェルノブイリ級の大事故が起こることもないとは限らないわけで、もうそんなものは恐ろしくて絶対に使うべきでないというのが人間の総意なら、原子力を使うことはやめればいいと思います。
先進国の豊かな人々が生活スタイルを少し昔に戻すことができるかどうかの問題になってくると思います。


投稿: robita | 2016年2月 9日 (火) 15時34分

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