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2016年3月30日 (水)

こうなったら外国人の力を借りよう

NHK朝ドラ「あさが来た」にこんなシーンがありました。

金融業・保険業を営む女主人公のあさが、日露開戦の報を受けて:

「うちは戦争は嫌いだす。たとえこの戦争に勝ったとしてもまたもっと大きな戦争が起こります。その時に大事なのはより強い武器を持つことやあらしまへん。お商売だす。経済的に国を豊かにすることで外交の力を増していかなあきまへんのや」

このドラマ、この手のセリフ(いわゆる平和主義者的な)をところどころ盛り込んでいるのですが、現在の時流批判のつもりなのが見え見えで鬱陶しい。

それより、そういうセリフをどうしても入れたいなら次のようなセリフを誰かに言わせなければ不公平だす。

「なに言うてますのや。国の存立には経済力も軍事力もどっちも必要だす。相手より強い武器持つほうが外交上も有利に決まってますやないか」

なぜロシアと戦わざるを得なくなったのか、当時の日本の苦境を実業家ともあろう人が知らないはずはないので、広岡浅子さんも実際にはあんな脳天気なことは言わなかったでしょう。

「うちは戦は嫌いだす」て、戦争は好きとか嫌いちゅうもんやないんだす。


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安保関連法が昨日施行され、国会前ではまた反対集会があったようです。相変わらずわからん連中やね。

まあ、彼らの殆どは「平和を願っている」というより、何らかの意図を持った要注意な人々だと思いますが、健全な日本国民の皆様はあれらの報道に騙されないようにしましょう。

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日本在住弁護士ケント・ギルバート氏の「まだGHQの洗脳に縛られている日本人」(PHP研究所)を遅ればせながら今読んでいます。

氏の考え方はわかっているし特に目新しい情報はないだろうと思って今まであまり興味がなかったのです。

しかし読んでみると、私が知らなかったことが盛り沢山で、敗戦後の日本人の思い込みが非常にわかりやすくまとめられています。

日本人に施された洗脳が、軍事アレルギー、そして安保法整備への反発の原因となっていますから、ちかごろ世間で騒がれていることがよくわからないという人はこの本など読んでみたら如何でしょう。本当に読みやすいです。

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日本はアメリカに洗脳されたまま70年も経ってしまったけれど、こうやって同じアメリカ人が洗脳を解こうと懸命になっているのが面白いですね。

洗脳を解くのは同じ日本人より、第三者の外国人、特にアメリカ人にやってもらうほうが効果的かもしれません。

そこの奥様、共に学んでいきませんか。

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まずは多くの方々に知らせなくては 
     

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2016年3月26日 (土)

愛しのrobot

人工知能(AI)の進化のスピードは当初の予想よりずっと速く、30年後には人間より賢くなるらしい。

人間のニューロンのようなネットワークの増殖により自ら学習を積み上げていくAIが登場し、「人間が組んだプログラムの人工知能だから、人間を超えることはできない」という状況では既にない。


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ボストン・ダイナミクス社の人型ロボット、アトラスの映像を見ることがよくあるが、健気な姿に胸を打たれる。

雪の斜面を滑らないように気をつけて歩く様子や、人から棒で胸を突かれたり、後ろからの攻撃で倒されたり、運んでいる荷物を叩き落とされたりなどの「意地悪」をされながらも、何度でも体勢を立て直して与えられた仕事を遂行しようとする。

もしアトラスに高度に進化したAIが搭載されるようになったら、「何すんだよ!」と反撃してくるのだろうか。

ロボットが自らを守るために理不尽な扱いに抗議することぐらいは許されるかもしれない。

けれど、AIが人類を超え、この世を支配するようになったり制御不能になって暴走するようなことにならないよう、今のうちに防御策を講じておくことは必要だろう。

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ふと以前読んだ業田良家の短編漫画集「機械仕掛けの愛」を思い出して再読してみた。
手塚治虫文化賞短編賞を受賞した傑作揃いだ。どの作品もしみじみとした味わいがある。

SFによく出てくるような感情らしきものを持ったロボットなどできはしまいと思っていたが、昨今のAIの発達ぶりを知るにつけ現実味を帯びてきたように感じる。

「人間の心も、所詮は原形質の進化したもので、その原形質とは、炭素や窒素などの元素から成り立っているのだから物質と何ら変るところはない」、のであるならば、AIの進化とともにロボットが心を持つようになるのはあり得ない話でもなさそうだ。人間が人間らしい感情を持つようになった過程とそんなに違わないのかもしれない。 → 「銀杏並木が美しい」 

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しかし人工知能も精神病になってサイコパスの殺人鬼みたいになる可能性があるので「意識」を持たせてはならないそうなのだ。

人間の友となるような温かみのあるロボットはやはり夢に過ぎないのだろうか。

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2016年3月21日 (月)

独裁者がそこにいる

私は東京都民ではありませんが、首都のトップがヘンな人なのではないかという話なのでちょっと口を出させていただきます。

韓国政府の要請を受けて、東京都は新宿区内の都立高校跡地を韓国人学校の用地として有償で貸与する方向で検討を始めたそうです。

しかし一方で、跡地付近は待機児童が多い地域であることから、保育所を作るべきではないかという声も上がっています。
現に、新宿区は保育所建設を視野に入れて当該跡地の使用の継続を都に申し入れていましたが、断られたとのことです。

3つの疑問:

・土地が余っているなら外国人学校のために貸与しても構わないと思いますが、土地がなく保育園不足で困っている人が現にたくさんいるのですから、こちらを優先すべきではないでしょうか。

・ネットでは大問題になっているのに、新聞もテレビもなぜこの問題を報じないのでしょうか。

・「保育園落ちたの私だ」とデモに集結したお母さんたちは、なぜこのことについては抗議行動を起こさないのでしょうか。

一番の疑問は:

・舛添都知事の独断のようですが、これを議会が止められないということは、東京都は独裁政治をやっているということなのでしょうか。

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優先順位の問題だと思うので、常識的に対処してほしいと思いますが、舛添さんは何か庶民には計り知れない大局観でもあってこのことを決めたのでしょうか。

それならば都民が納得のいくような説明が必要だと思います。
記者会見で都知事が説明しているようですが、問題を提起したやながせ議員が書くとおり、日本人を差し置いてでも進めることとは思えません

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2016年3月19日 (土)

独裁政権

「世界一民主的だと言われたワイマール憲法下でなぜナチス独裁政権が生まれたのか」と、報道ステーションの古舘伊知郎キャスターがわざわざドイツのワイマールに飛んで取材していた。

古舘氏は「自民党の新憲法草案の『緊急事態条項』がナチスの『全権委任法』と同じ危険性を孕む」、として、「たしかに今の日本でそんな独裁政権が生まれるとは考えにくい。」としながらも、「しかし、将来ヘンな人が首相にならないともかぎらない」と、日本がナチスのような暴走をする可能性をしきりに心配するのだ。
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「国民がヒトラーの力強いメッセージに熱狂した」という説明がなされていた。

ユダヤ人収容所の悲惨な映像も流された。

古舘氏はヒトラーが拳を振り上げて演説したバルコニーに立ち、力を込めて独裁政権の恐ろしさをカメラに向かって叫んでいた。
たしかにナチスがやったような恐ろしいことが起きないよう警戒するのは重要だが、恣意的な演出にはうんざりする。

マスコミはこうやっていつだって、自分たち好みの方向に国民を煽ってきたのではなかろうか。何ごとも、一面だけを見て信じ、煽られるままに誰かの言いなりになるのは危険だ。
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今の日本にナチスのような独裁政権が生まれるかどうかを考える時、言葉や映像も大事だが、冷静で論理的な思考はもっと必要ではないだろうか。

ワイマール憲法の成立やナチス政権の誕生には様々な要因があった。

独裁政権が誕生した経緯を細かく分析すれば「ヒトラーは民主的な手続きで首相になった」という単純なことでもないらしい。例えばこちらの解説→ 池田信夫ブログ  

<ワイマール憲法は右派と左派の妥協の産物であることから、双方ともこれに不満を抱いていた>
<そんな状態で政治の指導力が弱かったため、軍部の実権が強くなった>
<政治の混乱で議院内閣制が機能しなくなり大統領内閣のもとヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命した>
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日本の議院内閣制のもとでは危険人物が首相になり閣僚がこぞって暴走するなんてことは考えられないから心配ない、とは必ずしも言えないかもしれない。
世の中何が起こるかわからないのである。

しかし、ヒトラーと安倍首相の言葉の類似点を羅列して「ほら、だから安倍政治は危険なのだ」というマスコミの知性を欠く短絡的な解説は如何なものか。
そんな一面的な発信しかできないのに、「解説」なんかしないでほしい。

緊急事態条項を設けるとどのような危険が考えられるのかを示すと同時に、緊急事態条項がなければ国防上どういう事が危惧されるのかも公平に報じるべきだろうと思う。
ただただ「ナチスの暴挙と同じことが起こる。怖い怖い。危ない危ない」では、国の安全に何の対策も立てられないし国民も心構えができない。
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BSの報道番組は地上波に比べて偏向の度合いが低い。
私はBSフジ「プライムニュース」を時々見るのだが、右派左派その他さまざまな立場の意見を時間をたっぷり取って放送してくれる。

キャスターの反町さんは「右派」だと思うが、左派の意見も「なるほど」と相槌を打ちながら丁寧に聞き取る(左派のあまりに突拍子もない発言にたまに吹き出すこともあるが)。

そうやって色々な立場からの見解を示してくれるので、それを見て視聴者は判断する。

報道番組はこうあってほしい。

昨日のプライムニュースは、中国人論客、凌星光、石平(中国出身日本人)、韓暁清の3氏による「中国の軍事・経済戦略について」。

全部は聞かなかったが、最後の韓暁清氏の発言には苦笑してしまった。

「中国には共産党の指導のもと、ちゃんと民主主義はあります。日本の民衆は政府がやろうとしていることを理解しないでなんでも反対反対と言ってます。よくないです。日本人は少し中国を見習うべきです」

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2016年3月16日 (水)

若者はフロンティアをめざす

ムウェテ・ムルアカ著「中国が喰いモノにするアフリカを日本が救う」講談社+α新書 ¥840  )

元自民党衆議院議員鈴木宗男氏の秘書だったコンゴ出身のムルアカ氏が、「傍若無人な中国に席巻されつつあるアフリカにどうか目を向けてください」と熱心に訴えます。

アフリカは資源が豊富で日本には優れた技術がある。この二者が手を組むことで、日本の経済発展のみならず、アフリカの人材も育成され、雇用を生み出してまさにWinWinの関係を築くことができる、というものです。
それに、アフリカ諸国との絆が深まれば、国際社会でのロビイストとしてきっとアフリカは日本の味方になるでしょう、と。
これはとても魅力的な話ですね。

しかし日本政府も日本企業も、アフリカへの進出にはあまり積極的ではありません。もちろんビジネスのつながりはありますが、中国にはかなり遅れをとっている。

いくらビジネスチャンスがあると言われても、治安の悪さや恐ろしいウィルスの脅威などを考えれば、当然かも知れません。

ムルアカさんは「先入観にとらわれないで。アフリカだって日本と変わらない都会もあれば、安全な地域もあるのです」と説明しますが、やっぱり、資源開発やインフラ整備の仕事となると、危険な地域に足を踏み入れなければならないこともあると思います。

最後のフロンティア、宝の山、ビッグビジネス、と聞けばビジネスマンとしては胸が躍るのではないかと思いますが、リスクを考えるとちょっと腰が引けてしまうところもあるでしょう。

ところが、中国人は勇敢というのか怖いもの知らずというのか図々しいというのか、アフリカにどんどん進出して宝の山をすべて我が物にしようという勢いであるらしい。

金が儲けられるならウィルスでも矢でも鉄砲でもドーンとこい、ということなのか。自国にいてもどっちみち食えないから、一か八か挑戦してやろうという人が多いのか。いずれにしても中国人は用心深い日本人に比べて勇猛果敢なのですね。

しかし、とムルアカ氏は嘆きます:

「中国人は不公平な取引をして平気で人を騙す。ジャングルの自然環境の保護なんてお構いなしにムリな開発を推し進める。援助と称し、多少の雨で冠水して日常的に交通渋滞や事故を引き起こす道路を建設する。危険性の高い食料品や粗悪な商品を大量に生産する。組織的な犯罪組織をつくる・・・。」


日本の投資を待っているアフリカの期待には応えたいし、アフリカへの投資は日本の国富を増大させるチャンスでもある。そうなれば日本が必要とする新しいエネルギー資源開発のための費用も賄えます。

豊富な資源と新しい市場。まさに今、日本が勢いを盛り返す最後のチャンスなのです、とムルアカさんは力説します。

ムルアカさんは「私が来日した頃には国益や大義のためならリスクを冒すことを恐れないサムライのような政治家や民間ビジネスマンがいました」と言います。

現在アフリカで活躍している日本人は、企業の社員やJAICAの職員、ボランティアなど決して少なくないと思います。
しかし日本国籍を取得し日本人として日本とアフリカを行き来するムルアカさんにしてみれば、中国の勢いを目の当たりにするにつけ、日本はもっともっと積極的になれないのか、このままでは日本が入る余地がなくなってしまう、と焦る気持ちが沸き上がってしまうのでしょう。

「希望の大陸」アフリカは数々の難問を抱えている以上リスクもあるとは思いますが、今がラストチャンスであるならば、それをみすみす逃すのは残念に思います。

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ASANTE SANA(スワヒリ語で「ありがとうございます」)
                 
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 過去記事: 「新天地はもうないのか」 

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2016年3月14日 (月)

枯れた老人の意見は参考程度に

原発の議論を聞いていると、いつでも「安全基準」や「避難計画」や「放射能の健康への影響」などの考え方の違いによる激論が延々と続く。

反対派は「とにかく原発はやめるべき」という前提があるので、これらの議論はいつまでたっても平行線だ。

そんなことより、論点は、「ライフスタイルの問題」であるべきじゃないかと私は思う。

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原発反対派の友人と原発の是非について話をしたことがある。

彼女は異常に放射能を怖がっていたが、それに対して私が自分の見解を述べた上でも、激しい議論にはならなかった。
なぜかというと、彼女と私はライフスタイルが似ているのである。

ひとことで言うと二人ともアナログ生活者なのだ。
人力をおおいに活用する。
暑さ寒さに対する堪え性がある。
物欲が薄い。

「世の中って、私たちみたいな人ばっかりだったら、電気はそんなに必要ないのにねえ」

この点で一致するからだ。

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もちろん、エネルギー問題は家庭内の電気の消費を節約すれば済むというものではない。

産業の発展、つまり国全体としての豊かさを保つためには大量の電力が必要だ。

この日本は、自分の思い通りに事が運ばないと「日本死ね」だとか「老人は死ねというのか」とか言って政府を責め立てる人々がとても多いように思う。

そういう日本人が、「原発がなくなった、安心安全になった」といって鎮まるとはとても思えない。

「生活をもっと楽にしてほしい」と要求する人と、物質的豊かさを失っても原発はいらないと言う人とは別なのだろうか。

日本が原発をいっさいやめて、石油、太陽、風、水素などのエネルギーだけで今の豊かさを維持できるかどうか、真剣に試算をしてほしい。

原発ゼロを続けていくと日本経済が衰退するかどうかを計算で出すのは簡単ではないだろうか。

電力が充分でなければ経済にかなりの影響が出ると思うのだが、その場合、生活水準をどの程度まで下げることができるのかを議論するほうがよほど結論が早く出るのではないかと思う。

原発さえなくなればそういう生活でもかまわない、という人が過半数を占めれば話は早い。

反原発派は「安心して暮らせる持続可能な社会」は原発をなくしてこそ実現できる、と主張するが、エネルギーミックスの中に原発を含めないで「安心して暮らせる持続可能な社会」が可能かどうかの議論をもっと掘り下げてみてほしいと思う。

その上で、どの程度の生活水準ならば我慢ができるのかをそれぞれが考えればいいと思うのだ。

私のような高齢者はこの先細々と生きて死ぬだけだから電気があろうがなかろうがどっちでもい。

さらに言えば日本はここらでもう一度貧乏を経験するのもいいかもしれない。

とは言え、老い先短い我々高齢者の「貧乏でもかまわない」などという無責任な言葉は未来に生きる世代に対して発するべきではないと思う。

国が衰退して後悔した時、様々な分野における遅れをそう簡単に取り戻すことはできないだろうから。


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内田樹氏は相変わらずである。→ 「日本はこれからどこへ行くのか 」 

くどくどと長ったらしい文章だが、要約すると:「そんなに急いでどこへ行く」である。立ち止まれというのである。

しかし内田氏の言い分でいつも気になるのは、「日本の振る舞いが間違っている」という思考が土台になっていることだ。

『「変化を止めろ。変化の速度を落とせ」というのが全世界で起きているさまざまな現象に通底するメッセージである』とか言いながら、責める相手はいつだって「日本」なのだ。

人類ってずっとこうだったし、これからもすったもんだを繰り返しながら世界の歴史は流れていくだろう。人類が立ち止まったことはない。

年を取ると、周りがものすごいスピードで走り回っているように思えて不安を感じる。それだけのことだと思う。

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私も同じこと繰り返している: 「悩み多き原発」 

                   「試してみれば?」 

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2016年3月11日 (金)

黙祷

去年だったか一昨年だったか、車を運転している時に、東日本大震災犠牲者への黙祷を捧げるため、「まもなく午後2時46分をお知らせします」とラジオで時報予告があった。

たまたま広い道路だったのでウィンカーを出し左脇に車を寄せると同時に、前を走っていた車、そして後続の車も同様の動きを見せた。

一分間の黙祷を終えると、停車していた他の車も一斉にゆっくりと走り出した。

見知らぬ人々と厳粛な時間を共有できたような気がした。

震災とその後の復興にまつわる良い話もイヤな話もたくさん見聞きしてきたこの5年。未来に向かって誇りある日本人の歴史を紡いでいければと思う。


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2016年3月 9日 (水)

ならぬことはならぬものです

お笑い好きの私が知らないお笑い芸人西野某氏の文章のこんなタイトルが目に止まった。→ 「授業を聞かなくなるから」でスマホを禁止する教師は怠け者だ  

論評する価値もないつまらない意見だとは思うが、本人のサイトは「炎上」しているというし、BLOGOS peapleのコメントもたくさん集まっている。

批判は当然のことと思う。社会の健全さを保つためだ。

当たり前のことをわからせるために、論理や例え話を駆使してあの手この手で説明するコメントがずらっと並ぶ。
当たり前のことを理解しない人を説得するのが一番大変だ。

面白い先生、授業の上手い先生が人気があるのは当然で、かといって興味のわかない授業が価値がないかといえばそんなことはない。

話が面白くなければつまらなくて退屈だろうし、先生の方も子どもたちの興味を引く授業をする努力はするべきだと思う。でもそれはほとんどの先生が昔からやってきたことだ。

当然のことながら勉学はショーではない。先生たちはそれぞれのやり方で「子どもたちを教育する」という仕事を真面目にやっているのだ。

それを真面目に聞く、というのが授業を受ける側の当たり前の態度で、それが学校というものなのだが、その基本構造自体にケチをつける人々がいるのだなあ。学生生徒を「お客さま」だとでも思っているらしい。

私が学生だった頃の経験を書いたことがある。 →「哲学の時間」  


教師の話がつまらないと文句を言う前に、自らを律する力ぐらい育てないとねえ。

非常識、我慢をしない、ルールを守らず秩序を乱す、自分勝手な理屈で強弁する・・・・、おお、まるで中国。いやだよう。

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2016年3月 7日 (月)

反日左翼批判は国民に任せなさい

深沢明人氏の記事とそれに続くコメント欄に、朝日新聞を始めとする左翼言論の珍妙さが言い尽くされているように思う。

「権力はとにかく悪い」という批判のための批判に終始することが、本人たちは「世直し」をしているつもりでも実は何も生み出していないことがよくわかる。

twitterなどでは、この朝日女性記者によるコラムが絶賛されているらしいが、彼ら左翼の習いで、蛸壺に頭をつっこみ、他の意見には目を通してみようとも思わないのだろう。
こういう人たちがいるかぎり、社会をより良い方向に導くのも時間がかかってなかなか大変だ。
しかしまあそれも民主主義が払わなければならないコストだろう。

小林よしのり氏が:
「わしは「言論の自由」を「委縮」させたり、権力の都合のいいようにコントロールしようとしたり、「恫喝」したりする政治家は大嫌いだ。 」書いているが、そんなことわざわざ書かなくたって、誰だって言論の自由を奪ったり恫喝するしたりする政治家は大嫌いだ。

ただ、「権力の都合のいいようにコントロール」というのはちょっと考えさせられる。

政権が国のために「この道」という信念をもって政治をやろうとする。しかもその政権は、民主主義によって国民から選ばれた政権だ。国民の代表であって、何か悪いことを企んで国民を傷めつけてやろうなどという意図を持っているわけではない。

左翼は「国民は悪い政権に騙されているのだ」という主張なのだろうが、近代国家で国の指導者がわざわざ国益を損なうことをやるだろうか。左翼の思考はいつの時代で止まってしまっているのだろうか。

「権力の都合のいいように」はそのまま読むと傲慢な印象だが、「この道がいいのだ」と国民を説得しなければならないのは政権の使命だ。「より良いこと」は言わなければならない。それをコントロールと見るか、説得だと理解するかの話だと思う。

コントロールなどされてたまるか。
政権が何をしようとしているのか、本当にこの道しかないのか、それを考えるのが有権者たる国民のやるべきことではないのか。
政権が「いいこと」ばかりを強調するなら、想定される「悪いこと」を指摘し、こっちの道のほうがいのではないかと堂々と論戦を挑むのが健全な左翼の姿だろう。
日本はそういうことができる国だ。

「言論の自由を脅かされる」などという言葉は日本より、本当にそういうことをやっている中国にでも言ってあげればいい。

小林氏は何年か前に自分が産み出したネット右翼から、事情はよく知らないが、随分と叩かれたらしく、立ち位置が変化したのか左翼陣営援護の意見が目立つようになった。
私怨で政権攻撃をしているように見えるが、そうだとしたらそれは愛国者の態度ではない。

ネット上で活発に発信はしているが、コメントを受け付けていないので、独善が温存されたままだ。こういう人が偉そうに語っても偉いとは思わない。
コメントを読んで議論をする時間的余裕がないのかもしれないが、返信する時間がなくても、コメント欄があるほうが双方にとって思考は広がる。

左翼(政権の反対側)はあって当然。
政権の方針を批判して「別の道」を提案するのがジャーナリズムや国民的議論や国会論戦のあるべき態度だ。
言論の自由を奪われているとか権力に恫喝されているとかの妄想から脱して、思考を整理してから、堂々と対案を出せばいい。

左翼批判をしている深沢明人氏もコメント欄の人々も「政権」ではない。
こういう評論家や一般人の批判意見が活発になってきたこと、つまり世論が自分たちに厳しくなってきたことを「政権の圧力」などと言うのは卑怯だ。

大臣の皆さんもお願いだからもう余計なことは言わないで。揚げ足をとられるだけだから。
反日左翼への反論は政治家より一般言論者のほうがずっと上手だ。

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2016年3月 1日 (火)

権力に脅され、だって

週刊新潮の連載コラム「TVふうーん録」(吉田潮)。
テレビ番組に関する論評で、なかなか面白いのだが(故ナンシー関には及ばず)、最新号でNHK時代劇「ちかえもん」について、時代劇らしからぬ演出の工夫が心を和ませる、と書いている。
このドラマを見たことはないが、そんな紹介文を読めば見てみたくなるというものだが
、「現政権から脅され、ギスギスして雁字搦めのテレビ界をふんわり緩める効果あり」という記述に目が止まった。

政権から脅されてがんじがらめの中で制作されたテレビ番組を私は見たことがないのだが、どこでやっているのだろうか。

この女性ライターは、昨今の「政権が言論の自由を奪っている。放送局に圧力をかけている」といったサヨク言説に乗せられ、そう思い込んでいるだけなのだろう。

なんせ「反権力」はカッコいいのである。知的なのである。「脅され圧力をかけられても権力には負けるもんか!」という意思表明はゾクゾクするほど気持ちがいいのである。


田原総一朗氏、鳥越俊太郎氏、岸井成格氏、大谷昭宏氏、金平茂紀氏、青木理氏ら左翼ジャーナリストたちが揃って記者会見を行い
、「私たちは怒っている」という声明を発表。「放送局の電波は、国民のものであって、所管する省庁のものではない」とし、大臣による判断で電波停止ができるというのは、放送による表現の自由や健全な民主主義の発達をうたった放送法の精神に著しく反するものだと抗議した、というニュースがあった。

今までさんざん好き勝手に偏向報道してきた左翼爺さんたちが、日本人の目覚めとともに自分たちに対する風当たりが強くなってきたことに危機感を感じ、それを「安倍政権の圧力」だと言いがかりをつけている、私には単にそのようにしか見えない。

政権を怖がる前に、ジャーナリストとして本質的な問題点を自ら明らかにするべきではないのだろうか。→「本当の問題は高市総務相ではなく放送法と電波独占ではないだろうか? 」 

こちらもわかりやすい。→長谷川豊氏の記事 

「政権の圧力になぜ萎縮するのか。なぜ堂々とできないのか」という質問に応える青木理氏、岸井成格氏の頓珍漢な言い訳には笑ってしまうが、たしかに萎縮する必要はどこにもない。法律を遵守する限り、政権批判はおおいにやったらいいのだ。ただ、その批判があまりにも的はずれなのでジャーナリストとしての見識が疑われることになっているのだが。

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