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2016年3月14日 (月)

枯れた老人の意見は参考程度に

原発の議論を聞いていると、いつでも「安全基準」や「避難計画」や「放射能の健康への影響」などの考え方の違いによる激論が延々と続く。

反対派は「とにかく原発はやめるべき」という前提があるので、これらの議論はいつまでたっても平行線だ。

そんなことより、論点は、「ライフスタイルの問題」であるべきじゃないかと私は思う。

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原発反対派の友人と原発の是非について話をしたことがある。

彼女は異常に放射能を怖がっていたが、それに対して私が自分の見解を述べた上でも、激しい議論にはならなかった。
なぜかというと、彼女と私はライフスタイルが似ているのである。

ひとことで言うと二人ともアナログ生活者なのだ。
人力をおおいに活用する。
暑さ寒さに対する堪え性がある。
物欲が薄い。

「世の中って、私たちみたいな人ばっかりだったら、電気はそんなに必要ないのにねえ」

この点で一致するからだ。

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もちろん、エネルギー問題は家庭内の電気の消費を節約すれば済むというものではない。

産業の発展、つまり国全体としての豊かさを保つためには大量の電力が必要だ。

この日本は、自分の思い通りに事が運ばないと「日本死ね」だとか「老人は死ねというのか」とか言って政府を責め立てる人々がとても多いように思う。

そういう日本人が、「原発がなくなった、安心安全になった」といって鎮まるとはとても思えない。

「生活をもっと楽にしてほしい」と要求する人と、物質的豊かさを失っても原発はいらないと言う人とは別なのだろうか。

日本が原発をいっさいやめて、石油、太陽、風、水素などのエネルギーだけで今の豊かさを維持できるかどうか、真剣に試算をしてほしい。

原発ゼロを続けていくと日本経済が衰退するかどうかを計算で出すのは簡単ではないだろうか。

電力が充分でなければ経済にかなりの影響が出ると思うのだが、その場合、生活水準をどの程度まで下げることができるのかを議論するほうがよほど結論が早く出るのではないかと思う。

原発さえなくなればそういう生活でもかまわない、という人が過半数を占めれば話は早い。

反原発派は「安心して暮らせる持続可能な社会」は原発をなくしてこそ実現できる、と主張するが、エネルギーミックスの中に原発を含めないで「安心して暮らせる持続可能な社会」が可能かどうかの議論をもっと掘り下げてみてほしいと思う。

その上で、どの程度の生活水準ならば我慢ができるのかをそれぞれが考えればいいと思うのだ。

私のような高齢者はこの先細々と生きて死ぬだけだから電気があろうがなかろうがどっちでもい。

さらに言えば日本はここらでもう一度貧乏を経験するのもいいかもしれない。

とは言え、老い先短い我々高齢者の「貧乏でもかまわない」などという無責任な言葉は未来に生きる世代に対して発するべきではないと思う。

国が衰退して後悔した時、様々な分野における遅れをそう簡単に取り戻すことはできないだろうから。


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内田樹氏は相変わらずである。→ 「日本はこれからどこへ行くのか 」 

くどくどと長ったらしい文章だが、要約すると:「そんなに急いでどこへ行く」である。立ち止まれというのである。

しかし内田氏の言い分でいつも気になるのは、「日本の振る舞いが間違っている」という思考が土台になっていることだ。

『「変化を止めろ。変化の速度を落とせ」というのが全世界で起きているさまざまな現象に通底するメッセージである』とか言いながら、責める相手はいつだって「日本」なのだ。

人類ってずっとこうだったし、これからもすったもんだを繰り返しながら世界の歴史は流れていくだろう。人類が立ち止まったことはない。

年を取ると、周りがものすごいスピードで走り回っているように思えて不安を感じる。それだけのことだと思う。

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私も同じこと繰り返している: 「悩み多き原発」 

                   「試してみれば?」 

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コメント

原発問題は、正直なところ、なかなか悩ましいところがありますからねえ。
おっしゃるとおりで、豊かな生活はしたい、でも放射能は怖い、ということで。
なんでも都合が良い話はないのだなあ、などと思うのであります。(笑)

ただ、私も技術関係の仕事をしていて思うのですが、技術屋を、あまり甘やかしてはいかんのではないか、と思うのですよ。
「原発なしでは、エネルギーが足りません」「だから、多少の不安は納得しましょう」などといえば、必ず調子に乗って手抜きをする、わるい連中だと思っていただいて、まあ間違いありますまい(偏見)

ですので、この際、わたしも含めて素人は「放射能が出ない原発をつくれ」とか「自然エネルギーでなんとか賄え」とか、「できそうもない要求」をするえべきだと思います。そうすると、技術屋は「無理だ、できない」といいますが、そのうち、なんとかする奴がでてくる。というか、「無理難題」を出さないと、ブレイクスルーというやつは、出てこないと思います。

松下幸之助さんは、自動車メーカーに、40%のコストダウンを要求されて「40%でありがとうございます」とおっしゃった。何故かと言うと、もしも10%だったら、「なんとか頑張る」で達成できそうに思えるからです。しかし、40%では、どう頑張っても達成できません。そこで、「頑張る」ことをやめて「考える」ようになるのですね。

私は、日本人の力を信じていますので、無理難題をアッケラカンと要求するほうが良いと思っています。そうすれば、必ず、何か工夫する奴が出てくるものです。技術屋は「何が要求されているか?」を考えるのは不得手ですので、厚かましく言うくらいで、ちょうど良いのです。それで、ようやく、考えるようになります。
厳しくしてやるほうが、本人のためなんです(笑)

たぶん、小泉元総理も、同じことを言っておられるのですが、こんな考えは左右両方にウケが悪いですなあ(苦笑)
まあ、原発反対をメシの種にしているサヨクの方々のせいなんですけど、、、国をおもうて、反対してると思うのですが、やっぱり「変人」なんでしょうなあ。


投稿: single40 | 2016年3月15日 (火) 01時10分

★single40さん

>そのうち、なんとかする奴がでてくる。というか、「無理難題」を出さないと、ブレイクスルーというやつは、出てこないと思います。<

なるほど。そうかもしれませんねえ。
日本はそうやって、不自由な中からなんとか工夫して壁をぶち破り、雲を突き抜けて発展してきたのでしたね。
技術開発においては、それは技術者たちに要求されることですが、技術者だけに無理難題を押し付けるのは不公平なので、誰もがそれぞれ自分の分野で無理難題に挑戦して克服するべく頑張らないといけませんね。一億総努力家化(笑)。
仰るように「厳しくしてやるほうが、本人のためなんです」は全てに当てはまります。
まあ発電は技術者に頑張ってもらうとして、日本は貧乏にならないために、世界中で稼いで来る必要がありますね。

>たぶん、小泉元総理も、同じことを言っておられるのですが<

そうなんですかねえ。小泉さんの反原発の弁をあまり聞いたことないので、ただの放射能恐怖症なのかなと思ってました。いろいろ深く考えた上での行動なのでしょうか。

>原発反対をメシの種にしているサヨクの方々<

これがまともな議論を妨害しているように思いますね。
ただ、もう原発の議論は出尽くしているように思います。
原発はいらないという人のほうが多ければ仕方がないですが、この技術をなきものにしなければいけないのかと思うと残念無念です。

投稿: robita | 2016年3月15日 (火) 22時48分

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