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2016年6月30日 (木)

東京都知事には強い女がいい

都知事候補にいろいろな名前が出ていましたけれども、私はその中で小池百合子さんがいいんじゃないかと思っていました。
 
権力志向が強く、「政界渡り鳥」などと揶揄されたりしてましたが、政治家が権力を目指すのは当然なので批判されるようなこととは思いません。

貫禄あるし、お金の問題でヘタを打たなそうだし、政治家としてのキャリアは豊富だし、なんか画期的なことやってくれそうとはあまり思わないけど、都知事として「座りがいい」ように思います。何より華がある。
 
裏ではいろいろと厄介な事情が渦巻いていたでしょうに、いち早く立候補の声を上げたその決断力は男前!
 
「ああいう女は嫌いだ」といった風な批判を政治家に適用しちゃいけません。
 
自民党都連や「都議会のドン」とかいう人の言いなりにならない強さを持っていそうな小池さんを推したいと思います。都民じゃないけどね。

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2016年6月26日 (日)

アナクロニズム

 
この問題の経緯は次のようなことだ:
 
<2016年7月22日から3日間にわたり、新潟県湯沢町の苗場スキー場で開催されるフジロックフェスティバルにSEALDsの奥田愛基氏の出演が決まると、ネット上では「フジロックの政治利用」「音楽に政治を持ち込むな」などという批判の声があがった。
これに対し、ロックバンドASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文氏や脳科学者の茂木健一郎氏などから反論の声があがっている。>

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先日もラジオで宮台教授が「ロックは昔から政治的メッセージを持ってるんだよ。バカかおめえら」と吠えていた。

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・・・・んー、時代錯誤のようにも思える。
 
選挙制度や言論の自由で民主主義が確立している近代国家では、国の統治は、理論上国民と政府の合作によるものではないのだろうか。
 
選んだ後の政権監視を怠ってはならないのは言うまでもないが、メディアや有権者に怯える政権や政治家が、国の存続のために思い切った政策を打ち出せないことがむしろ情けない。
 
その政治家たちを選んだのは他ならぬ国民である。
 
時代も若者の意識も変わってきているのは明らかなのに、相変わらず老人たちは「ロックは反体制が当たり前」などと学生の頃を懐かしむ。
 
そんな年寄りの思い出に付き合うより、若者は未来をどうするかを考えたほうがいいのではないか。
 
尾崎豊の歌に表現されるような、湧き上がる思春期の衝動が大人たちや社会へ向けた抵抗として現れるならば、どんなに時代が変わってもそれは若者特有のエネルギー爆発なのだろうと理解もできるが、今の時代に「ロックは反体制だ」と主張することにあまり意味はないと思う。
 
もちろん反体制のロックをやるのは自由で、やりたければおおいにやったらいいと思うが、「若者がついてこないのは時代遅れだからではないか」と気が付くことも大事だ。
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時の政権に従順であれ、ということではない。
反体制ならばとにかくカッコいい、という思い込みから抜け出して、国家の存続のために何をしたらいいかということを自分の頭で考えることだと思う。
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むしろ怖いのは、政界、法曹界、教育界、マスコミ、芸能界、等々、あらゆる世界に根深く巣食っている反日勢力の存在ではないだろうか。
 
その恐ろしさを訴えるロックはないのか。
 
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         「卒業」
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2016年6月24日 (金)

合成の誤謬、とも言えるかな

「全体」と「個人」の利益を両立させるのは難しい、といいます。
 
しかし、この両者は相対する概念ではないはずです。
 
例えば、英国で行われているEU残留か離脱かの国民投票は、そんなことを国民一人一人に選ばせるなんてなんだかおかしなことをやってるな、と思ってしまいます。
 
離脱派の主張は、ヨーロッパ連合の中にいるとイギリスの主権が奪われるとか、移民がどんどん入ってきてイギリス人の仕事が奪われるとかいうことだそうです。
 
でも、イギリスが離脱すると、EUが崩壊する可能性があり、世界は大不況に陥るらしい。
世界的大不況になれば当然イギリス自身だって大きなダメージを受けるんじゃないだろうか。スコットランド独立問題だって再燃するかもしれない。
 
離脱して今より良くなりたい、ということだったのに、よけい悪くなるんだったらなぜ離脱を選択するのだろうか。
 
経済的豊かさのためじゃない、イギリスの誇りだ、ということなら別にいいけど、やっぱりお金に不自由すると個人的にすごく辛いんじゃないでしょうか。
 
現在24日お昼、離脱派優位のようですが、どうなりますか。
 
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「個」と「全体」のこういう問題はあらゆる場面で表出します。
 
「公共の福祉」と「個人の自由」の対立ならば始終あちこちで起こっていることで、当事者たちの調整や和解の努力は日常的ですが、国の運命を左右する問題となると、個人の判断に任せるのは非常に難しいところです。

少子化の問題もそうですね。
 
子供を持つか持たないかは個人の自由だけれども、多くの人がそう思って子供を産まなくなると、生産人口は減る一方で、結果的に国は衰退します。
衰退すれば個人も不幸になります。
 
しかし人は国のために子供を産もうとは思わないでしょうから、子供はほしいけど政府の無策のせいで産めない、という言い分になります。
 
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防衛政策も経済政策も、何がベターなのかよくわからないまま、国民は何かを選び、投票しなければなりません。
 
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先進国では民主主義には常に疑念がつきまといます。
民主主義には成熟などということはないのか、それとも成熟するためにすべきことはあるのでしょうか。
 
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しかし、成熟した民主主義による国家統治を想像してみると、何となくですが、安定と引き換えに人間社会ならではのダイナミズムも失われるような気がするんですよねえ。
 
まあ、日本なんかちょうど良いレベルにあるのかなあ、なんて思います。
 
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2016年6月22日 (水)

蔑む相手が違う

「集団リンチをまだ続けたかった愚民主主義」と小林よしのり氏が書いています。→  http://blogos.com/article/180163/
 
「水に落ちた犬を叩く愚民」だとか「上に立つ者を処刑台に上げて、首が斬られる姿を見たいという心理」だとか、なんとまあ大袈裟なことでしょう。
 
高みから民衆を見下ろし、あらゆる表現を駆使して「愚民ども」と蔑むところは、知性を誇る学者や評論家、例えば内田樹氏や宮台真司氏などの書くこと言うことにそっくりです
 
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舛添氏のやったことは甚だ不誠実です。
 
納税者としての一般庶民が「なぜ正直に認めて謝らないのか」と怒るのは当然だと私は思いますね。何もおかしなことではないです。
 
しかしそういう発言をかき集めて世論として編集し、煽情的な雰囲気を作り上げて連日ワイドショーで流し続けたのはマスメディアです。
 
民衆の集団リンチとはなにごとでしょう。
 
私の周りには「舛添をリンチしろ!」などと興奮して騒ぐ群衆などいませんでした。皆さんの周りでも同様だと思います。

 <残酷非道の民主主義は一体何を望んでいるのか?
おそらく舛添が素っ裸で泣きながら街の中を這いずり回る姿が
見たいのだろう。
それでも嘲笑って文句を言うのが愚民どもの残酷性だ。>
 
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そんなことを望む人がいるでしょうか?
 
そういう人も一部いるかもしれません。
 
でも、この世は優しい人のほうがずっと多い。とりわけ日本人は残酷性の薄い民族ではないでしょうか。
 
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小林氏はテレビを連日見続けてあれはリンチだという印象を持ったのでしょう。
 
ならば批判すべきはテレビ番組制作者や舛添氏を執拗に追いかけまわす報道関係者たちではないでしょうか。
 
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2016年6月20日 (月)

来し方の全否定は至難の業だけど

共産党が「国民連合政府」などと言い出して、国政に関わろうと画策する動きを見せつつあるせいか、このところ、言論誌などでは共産党批判の論考が目立つようになりました。

私は以前この記事で、あるジャーナリストの「共産党もそろそろここいらで普通の政党になりたいんだよね」という言葉を紹介しました。

日本共産党の出発点や、彼らのやってきたこと、そして今も堅持する党綱領などを考え合わせると、やはり「普通の政党」ではなく、日本の国体を根本から変えようとする異形の集団として警戒することは必要かと思います。
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「安倍政権の暴走が心配」だけれど、「民進党は頼りない」ので、「いっそ共産党を支持しようかと思っている」などという純朴な声を聞くことがあります。

私も党首の志位さんの人の好さそうな笑顔や、時おり耳にするまともな発言に、「良い人なんだなあ」と感じることもあります。たしかに良い人なのかもしれない。
でも「良い人」が「厚い信仰」によって道を誤る、ということもあると思います。

共産主義国家の恐ろしさについてはもう誰もが知っていると思うのですが、日本共産党には心を許してしまうところがありますよね。同じ日本人なんだから、という感覚だと思います。
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そういったこととは別に、私は、共産党が一度政権に加われば、この政党が大きく変わるんじゃないかとも思うこともあります。

社会党が村山内閣で政権に入った後、社会党は消滅し、議員たちの多くは民主党に合流しました。
しかし、旧社会党政治家たちは基本的な思想は変わっておらず、今の民進党は保守政治家が少なくないにも関わらず、旧社会党のような主張をしています。
    
社会党の流れを汲む議員たちに乗っ取られてしまったかのような様相です。

一方で、共産党から抜けた人は、まるで目が覚めたかのように180度考え方を転向させるような印象があります。
私はあまり例を知らないのですが、筆坂秀世氏や兵本達吉氏などの書いたものを読むと、まるで右派評論家です。

除名された恨みで古巣を批判するといったものではなく、共産主義や日本共産党に関する第三者としての分析には説得力があります。

カルト宗教から目覚めたかのようだ、と言っては失礼でしょうか。

社会党は解体してもサヨク根性から抜け出せず思考回路は昔のまんまだけれど、共産党はもしも解体することがあるとすればその時にはすでに脱皮に成功しているということかもしれませんね。

さて始末が悪いのはどっちでしょう。

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2016年6月13日 (月)

初めての選挙

民進党の参議院選挙用のポスターに「3分の2をとらせない」とあります。
「憲法改正派に3分の2以上の議席を与えることを阻止する」という決意表明で、憲法改正は許さない、という意味でしょう。
民進党にはまともな考えの議員も少なくないのに、すっかり「なんでも反対」の昔の社会党みたいになってしまいました。この先どうするんだろう。
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改憲について、「安倍さんがやりたくてたまらない憲法改正」「安倍さんがどうしてもやりたい憲法改正」などと、まるで安倍さん個人が「憲法改正やりたいやりたい」とだだをこねているかのような言い方が各種メディアで氾濫しています。

日本人自身の意思が込められた憲法を作りたいという願望は国民の中にこそあります。未だにGHQの日本弱体化政策の亡霊に憑りつかれている人も少なくはないのですが、ちゃんと理解している国民なら憲法改正の必要性を感じているのです。
そういう国民の代弁者が安倍総理に代表される改憲派政治家なのであって、安倍さんの個人的野望でも何でもないのですよ。

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今度の参院選で、18歳選挙権が初めて適用されますが、若者は年配者よりネットを活用しますから、いろいろな意見に触れる機会も多く、柔軟な思考が身についていると思います。
改憲についても、きっと適切な理解をしていると思いますが、なりふりかまわぬ護憲派の工作活動も激しくなってくるでしょう。どうか取り込まれないようにと願うばかりです。
年配者である私なども、18歳の頃どころか中年と言われる年齢になっても、政治に関することは、一応考えてはいたつもりだったけれど実は全然わかっていませんでした。日本独特の左翼の危険思想を「正義」だと勘違いしていたのです。

だから、今の時代の18歳の若者たちに対して「よく考えて投票してほしい」などというのはおこがましいのですが、野党やマスコミの、まるで「政権は国民の敵」であるかのような宣伝にはよくよく気をつけてほしいと思います。
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埼玉大学名誉教授の長谷川三千子氏の ≪本当の意味での主権者教育を≫は、国民主権とはどういうことか考える上で、わかりやすい良い文章だと思います。「どうせ右翼の言うこと」だなんて毛嫌いせずに、まあ読んでみてください。

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転載:
産経新聞コラム【正論】
≪本当の意味での主権者教育を≫ 埼玉大学名誉教授・長谷川三千子 

選挙権が18歳から認められることになったから、というのでしょうか、にわかに「主権者教育」という言葉が聞かれるようになりました。もし本当に「主権者教育」というものが必要なのだとしたら、今さら慌てるのもおかしな話ではありますが、ある意味でこれはまたとない良い機会です。「主権者」であるとはどういうことなのか、そのためにはどんな心構えが必要なのか、国民全員がじっくりと考える機会になれば、こんなよいことはありません。
 そのためには、まず「主権」とは何なのかを正確に知っておく必要があります。それを知らないままでは「主権者教育」などできるはずもありません。ことにこの「主権」という言葉は明治期に西洋語を翻訳して造語した、いわゆる翻訳語の一つなので、なおのこと注意深く意味を確かめておく必要があるのです。

【「治める者」という意識の欠如】

 「主権」とは、大もとのラテン語では「最高の力」という意味の語です。国内においては、政治をつかさどり国民を支配する最高の力。対外的には、その国の独立を保持し、他国の侵略、介入に屈しない力のことを言います。
 この言葉がはじめて明確に定義された16世紀のフランスでは、国王が国内の主権を握る「君主主権」でしたが、18世紀末のフランス革命でそれが逆転し「国民主権」になる。これが今のわが国の憲法も採用している近代民主主義の第一原理となっているのです。
 この時の遠い記憶がいまだに人々の心の内に染みついているためか、「国民主権」とはすなわち、政権に「否(ノー)」をつきつけ、政権を倒すことである、と考えている人が少なくない。しかし、ことはそれほど単純ではないのです。国民主権のもとでは国民は単に支配される者ではない。治められる者であると同時に治める者でもある。これが難しいところなのです。
 もちろん、現在のいわゆる議会制民主主義のもとでは、国民が選挙で選んだ自分たちの代表が政治を取り仕切ることになり、形の上では治める者と治められる者とが対立しているようにも見えます。 しかし、その代表はあくまでも自分たちの選んだ代表であって、そのことを忘れては、「国民主権」は成り立ちません。たとえば、なにか不満があるたびに「安倍ヤメロ」「日本死ね」と口汚く罵(ののし)ればよいと思っているような人は、とうてい「主権者」とは言えない。それは自分をもっぱら「治められる者」のうちに押し込め、せっかくの「主権」を投げ出している態度と言わねばなりません。

【政治運営の難しさを知ること】
 
 なにか問題を見つけたならば、ただ「怒る」のではなしに、どうやったらその問題を解決できるのか、一生懸命考えてみる。そうすると、どんなに単純そうに見える問題でも、実際の解決にはおそろしく手間ひまがかかることが見えてきます。「国民のための政治」などと一口に言っても、それがどんなに複雑なかじ取りを必要とする作業なのかがわかってくる。
 本当の「主権者教育」とは、そういう知的な姿勢を育てることでなければならないでしょう。なにも、すべての問題についての解決法をあらかじめ知っておく必要はない。むしろ、そんなことは人間わざでは不可能なのだと知ること。現実の政治運営はいかに難しいものなのかを実感をもって知ること-それが大切なのです。
 そういう発想を身につけた主権者は、自分たちの代表を選ぶ際にも、ただ怒りにまかせた愚かな選択をすることはなくなるはずです。それは若い人々にとって、責任ある大人の発想を身につけるトレーニングにもなるはずであって、本当の主権者教育とは人格教育そのものでもあるのです。

【他国に屈しない「力」の保持を】
 
 そしてもう一つ、本当の主権者教育に欠かせない重要なことがあります。さきほど見たとおり、「主権」という言葉には内と外との二つの側面があって、国内で誰が「最高の力」を持つかというだけでなく、国際社会の中で独立を保持し、他国に屈しない「力」を持つということが、「主権」のもう一つの重要な意味です。
 この意味での「主権」を失ってしまうと、その国の内側では、もはや君主主権も国民主権も成り立たない。いくら国民一人一人が頭をしぼってよい政治を行おうとしても、他国の圧迫と干渉に屈するほかはない、ということになってしまう。それを防ぐのが「防衛力」というものであって、だからこそ世界中どんな国でも、国家主権を維持する最低限の「力」を保持しなければならないのです。
軍隊を持たないパナマの憲法にすら、国民は自国の独立を保持するために戦う義務がある、ということが明記されています。自分たちが「主権者」であるためには、自国の主権を自ら守る義務があるのだということ-これがもう一つの重要な「主権者教育」のポイントなのです。
 この2点をしっかりと踏まえた本当の「主権者教育」をぜひ実現していただきたいと思います。(埼玉大学名誉教授・長谷川 三千子 はせがわ みちこ)

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2016年6月 4日 (土)

無事でよかった!

北海道で行方不明になった男の子が無事保護され、本当に良かったですね。

男の子の父親が記者会見をしているのを見ましたが、こんな時に公に喋らなければいけないのかと気の毒に思いました。

メディアで、特にネットなどでは、父親の躾の仕方が批判されているようですが、もう少し落ち着いて考えてみてほしい。

現地を実際に見たわけではないのでたしかなことは言えませんが、崖になっているわけでもないし、比較的明るい一本道が続いているだけで、樹海のように鬱蒼としているわけでもない。
もちろん熊が出没する地域であれば危険ですが、そういう報道はありませんでした。

父親としても大丈夫だと判断して息子を車から降ろしたのだと思います。

男親が、男の子を育てる上で、そういった罰を与えるのはよくあることではないでしょうか。

お仕置きとして怖い思いをさせる、というのは昔から別に珍しいことではありません。
今は時代が違うといわれるかもしれませんが、今でもそういうことをしている親は少なくないのではないかと思います。

悪いことをした子供が何度言っても聞かない場合、「またあそこに連れて行くぞ!」という脅しは効果的だと思いますが、子育てには「脅し」があってはならないでしょうか。

我が家の子供たちは有り難いことに言って聞かせればわかる、ほどほどに素直だったので、そういう必要はありませんでしたが、世の中はそんな扱いやすい子供だけとはかぎりません。
むしろ自己主張が強く冒険心のある子供ほど、親のいうことを聞きません。

子供が危険なことをしたり人に危害を加えたりした時、「絶対にやってはならないことだ」と子供の心に叩き込もうと、真面目な親ほど強く罰しがちということもあると思います。

また、いくら大人でも親として完璧でいられるはずもなく、いつもいつも理性的にふるまえるわけでもありません。時にはカッとなって子供に厳しくあたってしまうこともあるでしょう。

うちの夫も似たようなことをしたことがあります。

長男が今回の男児と同じ小学校二年の時、食事の食べ方が悪いことに腹を立て「出てけ!」と叱り、長男は言われた通り夜の戸外に出ていきました。

追い出されるような悪いことをしたわけでもないので、夫はただ虫の居所でも悪かったのでしょう。

私は「何かあったら」とハラハラしましたが、「放っておけ!」と怒鳴られ、庇うことができませんでした。

たまたま悪い人が通りがかって連れ去られたり、車道に出て車にひかれたりという事態になっていれば、私たちは深い自責の念に苛まれ、母親の私は「あの時夫がどんなに怒ろうが息子を守るべきだったのだ」と悔やんでも悔やみきれない思いに心身が壊れていたでしょう。愚かな母でした。
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ほんの短い間、置き去りにして怖い思いをさせる、というやり方はもう今の時代には躾として許容されないのでしょう。
しかしそういうことをしてしまう親は今も少なくないと思います。

結果的に事故や事件にならなかったから表に出ないだけではないでしょうか。

今回のことで、親を批判している人々がいかほどの子育て経験をしてきたのか、どんな多様な子育て体験談を耳にしてきたのか知りませんが、短絡的な「あり得ない」「虐待だ」などという決めつけには私は疑問を感じてしまいます。

少なくとも親御さんは子育てに一所懸命だったと思います。

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虐待というのは、こういうことを言うのですよ。 →「mother」 
                               「愛情のかけらもない」  

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2016年6月 3日 (金)

良き伴侶

まず、こちらの記事をみていただきたい。→ 「恋愛適性と結婚適性を勘違いしている人がいる」  

さんざん言われてきたことであると思う。私も似たようなことをずいぶん書いてきた。

例えば、近所の老婦人が語っていた娘さんの結婚について、こんな文を書いたことがある。

<< 私は結婚前、近所の70代の奥さまからこんな話を聞いた。
「長女は、主人が『俺が見込んだ男だ』と連れてきた男性と見合いさせられました。泣いて嫌がりましたけどね。でもおかげさまで、今ではきょうだいの中で一番幸せです」と。
因みに次女の方は、恋愛結婚したが、結局破綻に終わった。>>
  「望む相手が見つからない」 

恋愛と結婚について人はいろいろなことを言う。しかし、人生経験の長い年配者がどんな助言をしようが、「わかっちゃいるけど」、というのが結論なのだ。

嘗てはほとんどの男女が年頃になればすんなりと結婚していた。それは「お見合い」という習慣があったからなのだが、今の時代、お見合いを復活させたところで、結婚は増えないだろう。
結局チャンスが提供されるだけで、あれこれ迷って決断したり決断しなかったりするのは今の時代を生きる本人たちなのだから。

よく思うことだが、「人は自由になって不自由になった」。

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結婚関係の記事たくさんありますが例えば: 「親心」 


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2016年6月 1日 (水)

美化ってなんですか

昨日のTBSラジオ「デイキャッチ」で火曜日コメンテーター、国際ジャーナリスト小西克哉氏が「国際的な和解」について語っていました。→ https://www.youtube.com/watch?v=UqpddX-yX-I 

「ドイツとフランスは謝罪より両首脳が共に『祈り』を捧げることで和解している。これは広島の主語のない『過ちは繰り返しませぬから』という碑文とある意味同じだ。」とし、「謝罪がなくても祈ることで和解は成立する」と言います。

なるほど、と思いました。

謝罪しないことで国内の保守派の反発を抑えて二国間の関係を悪化させないというのは世界標準的対処法のようです。小西氏は以前にも同じ番組で説明していました。→ 
http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-25ff.html

しかし、それに続けて「ドイツが日本と違うのは、過去を美化していない、というところ。日本もこれができれば、他国との和解はうまくいく」と言ったのですが、それがよくわかりませんでした。
 
美化しているとはどういうことでしょうか。
 
戦争は一方的な侵略でなければ、どっちもどっちで、どちらが悪いということはないだろうと思うので、「悪いことをしたのに美化している」というのは日本にはあたらないのではないでしょうか。
 
「侵略ではなく自衛戦争だった」という考えがありますが、少なくとも日本の政府がそんなことを公式に言ったことはないでしょう。
 
日本は「自衛のために大陸に進出し、植民地にされていた東アジアから欧米を追い出し、太平洋でアメリカと戦った」と私は理解していますが、それは美化していることになるのでしょうか。
 
それとも、「美化」とは戦争を扱った小説や映画で感動的な場面を表現することでしょうか。
 
そんなことどこの国でもやっていることなのに、「戦争を美化しているのは日本だけ。他国を見習うべき。」なんて、やっぱり変だと思うんです。

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