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2016年6月13日 (月)

初めての選挙

民進党の参議院選挙用のポスターに「3分の2をとらせない」とあります。
「憲法改正派に3分の2以上の議席を与えることを阻止する」という決意表明で、憲法改正は許さない、という意味でしょう。
民進党にはまともな考えの議員も少なくないのに、すっかり「なんでも反対」の昔の社会党みたいになってしまいました。この先どうするんだろう。
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改憲について、「安倍さんがやりたくてたまらない憲法改正」「安倍さんがどうしてもやりたい憲法改正」などと、まるで安倍さん個人が「憲法改正やりたいやりたい」とだだをこねているかのような言い方が各種メディアで氾濫しています。

日本人自身の意思が込められた憲法を作りたいという願望は国民の中にこそあります。未だにGHQの日本弱体化政策の亡霊に憑りつかれている人も少なくはないのですが、ちゃんと理解している国民なら憲法改正の必要性を感じているのです。
そういう国民の代弁者が安倍総理に代表される改憲派政治家なのであって、安倍さんの個人的野望でも何でもないのですよ。

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今度の参院選で、18歳選挙権が初めて適用されますが、若者は年配者よりネットを活用しますから、いろいろな意見に触れる機会も多く、柔軟な思考が身についていると思います。
改憲についても、きっと適切な理解をしていると思いますが、なりふりかまわぬ護憲派の工作活動も激しくなってくるでしょう。どうか取り込まれないようにと願うばかりです。
年配者である私なども、18歳の頃どころか中年と言われる年齢になっても、政治に関することは、一応考えてはいたつもりだったけれど実は全然わかっていませんでした。日本独特の左翼の危険思想を「正義」だと勘違いしていたのです。

だから、今の時代の18歳の若者たちに対して「よく考えて投票してほしい」などというのはおこがましいのですが、野党やマスコミの、まるで「政権は国民の敵」であるかのような宣伝にはよくよく気をつけてほしいと思います。
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埼玉大学名誉教授の長谷川三千子氏の ≪本当の意味での主権者教育を≫は、国民主権とはどういうことか考える上で、わかりやすい良い文章だと思います。「どうせ右翼の言うこと」だなんて毛嫌いせずに、まあ読んでみてください。

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転載:
産経新聞コラム【正論】
≪本当の意味での主権者教育を≫ 埼玉大学名誉教授・長谷川三千子 

選挙権が18歳から認められることになったから、というのでしょうか、にわかに「主権者教育」という言葉が聞かれるようになりました。もし本当に「主権者教育」というものが必要なのだとしたら、今さら慌てるのもおかしな話ではありますが、ある意味でこれはまたとない良い機会です。「主権者」であるとはどういうことなのか、そのためにはどんな心構えが必要なのか、国民全員がじっくりと考える機会になれば、こんなよいことはありません。
 そのためには、まず「主権」とは何なのかを正確に知っておく必要があります。それを知らないままでは「主権者教育」などできるはずもありません。ことにこの「主権」という言葉は明治期に西洋語を翻訳して造語した、いわゆる翻訳語の一つなので、なおのこと注意深く意味を確かめておく必要があるのです。

【「治める者」という意識の欠如】

 「主権」とは、大もとのラテン語では「最高の力」という意味の語です。国内においては、政治をつかさどり国民を支配する最高の力。対外的には、その国の独立を保持し、他国の侵略、介入に屈しない力のことを言います。
 この言葉がはじめて明確に定義された16世紀のフランスでは、国王が国内の主権を握る「君主主権」でしたが、18世紀末のフランス革命でそれが逆転し「国民主権」になる。これが今のわが国の憲法も採用している近代民主主義の第一原理となっているのです。
 この時の遠い記憶がいまだに人々の心の内に染みついているためか、「国民主権」とはすなわち、政権に「否(ノー)」をつきつけ、政権を倒すことである、と考えている人が少なくない。しかし、ことはそれほど単純ではないのです。国民主権のもとでは国民は単に支配される者ではない。治められる者であると同時に治める者でもある。これが難しいところなのです。
 もちろん、現在のいわゆる議会制民主主義のもとでは、国民が選挙で選んだ自分たちの代表が政治を取り仕切ることになり、形の上では治める者と治められる者とが対立しているようにも見えます。 しかし、その代表はあくまでも自分たちの選んだ代表であって、そのことを忘れては、「国民主権」は成り立ちません。たとえば、なにか不満があるたびに「安倍ヤメロ」「日本死ね」と口汚く罵(ののし)ればよいと思っているような人は、とうてい「主権者」とは言えない。それは自分をもっぱら「治められる者」のうちに押し込め、せっかくの「主権」を投げ出している態度と言わねばなりません。

【政治運営の難しさを知ること】
 
 なにか問題を見つけたならば、ただ「怒る」のではなしに、どうやったらその問題を解決できるのか、一生懸命考えてみる。そうすると、どんなに単純そうに見える問題でも、実際の解決にはおそろしく手間ひまがかかることが見えてきます。「国民のための政治」などと一口に言っても、それがどんなに複雑なかじ取りを必要とする作業なのかがわかってくる。
 本当の「主権者教育」とは、そういう知的な姿勢を育てることでなければならないでしょう。なにも、すべての問題についての解決法をあらかじめ知っておく必要はない。むしろ、そんなことは人間わざでは不可能なのだと知ること。現実の政治運営はいかに難しいものなのかを実感をもって知ること-それが大切なのです。
 そういう発想を身につけた主権者は、自分たちの代表を選ぶ際にも、ただ怒りにまかせた愚かな選択をすることはなくなるはずです。それは若い人々にとって、責任ある大人の発想を身につけるトレーニングにもなるはずであって、本当の主権者教育とは人格教育そのものでもあるのです。

【他国に屈しない「力」の保持を】
 
 そしてもう一つ、本当の主権者教育に欠かせない重要なことがあります。さきほど見たとおり、「主権」という言葉には内と外との二つの側面があって、国内で誰が「最高の力」を持つかというだけでなく、国際社会の中で独立を保持し、他国に屈しない「力」を持つということが、「主権」のもう一つの重要な意味です。
 この意味での「主権」を失ってしまうと、その国の内側では、もはや君主主権も国民主権も成り立たない。いくら国民一人一人が頭をしぼってよい政治を行おうとしても、他国の圧迫と干渉に屈するほかはない、ということになってしまう。それを防ぐのが「防衛力」というものであって、だからこそ世界中どんな国でも、国家主権を維持する最低限の「力」を保持しなければならないのです。
軍隊を持たないパナマの憲法にすら、国民は自国の独立を保持するために戦う義務がある、ということが明記されています。自分たちが「主権者」であるためには、自国の主権を自ら守る義務があるのだということ-これがもう一つの重要な「主権者教育」のポイントなのです。
 この2点をしっかりと踏まえた本当の「主権者教育」をぜひ実現していただきたいと思います。(埼玉大学名誉教授・長谷川 三千子 はせがわ みちこ)

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