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2016年6月26日 (日)

アナクロニズム

 

この問題の経緯は次のようなことだ:

<2016年7月22日から3日間にわたり、新潟県湯沢町の苗場スキー場で開催されるフジロックフェスティバルにSEALDsの奥田愛基氏の出演が決まると、ネット上では「フジロックの政治利用」「音楽に政治を持ち込むな」などという批判の声があがった。
これに対し、ロックバンドASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文氏や脳科学者の茂木健一郎氏などから反論の声があがっている。>

 

先日もラジオで宮台真司教授が「ロックは昔から政治的メッセージを持ってるんだよ。バカかおめえら」と吠えていた。

・・・・んー、時代錯誤のようにも思える。


選挙制度や言論の自由で民主主義が確立している近代国家では、国の統治は、理論上国民と政府の合作によるものではないのだろうか。

選んだ後の政権監視を怠ってはならないのは言うまでもないが、メディアや有権者に怯える政権や政治家が、国の存続のために思い切った政策を打ち出せないことがむしろ情けない。

その政治家たちを選んだのは他ならぬ国民である。

時代も若者の意識も変わってきているのは明らかなのに、相変わらず老人たちは「ロックは反体制が当たり前」などと学生の頃を懐かしむ。

そんな年寄りの思い出に付き合うより、若者は未来をどうするかを考えたほうがいいのではないか。

尾崎豊の歌に表現されるような、湧き上がる思春期の衝動が大人たちや社会へ向けた抵抗として現れるならば、どんなに時代が変わってもそれは若者特有のエネルギー爆発なのだろうと理解もできるが、今の時代に「ロックは反体制だ」と主張することにあまり意味はないと思う。

 

もちろん反体制のロックをやるのは自由で、やりたければおおいにやったらいいと思うが、「若者がついてこないのは時代遅れだからではないか」と気が付くことも大事だ。

時の政権に従順であれ、ということではない。

反体制ならばとにかくカッコいい、という思い込みから抜け出して、国家の存続のために何をしたらいいかということを自分の頭で考えることだと思う。

むしろ怖いのは、政界、法曹界、教育界、マスコミ、芸能界、等々、あらゆる世界に根深く巣食っている反日勢力の存在ではないだろうか。

その恐ろしさを訴えるロックはないのか。

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          「卒業」

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