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2016年11月20日 (日)

卑怯は許さぬ

小学校4年の時です。

授業中に先生が何か質問を出して、A君が指され、A君は立ち上がっておどおどと何かしらの意見を言いました。

A君は真面目でもないし勉強ができない子でした。A君の家はとても貧乏でいつも汚れたボロボロの服を着ていました。

でも、その時の意見は、拙いながらもなかなか優等生的な真面目なものでした。きっとこういう答えが望ましいのだろうと考えた上でのことだったでしょう。

すかさず、B君が「なんだよ。お前んちクズ屋じゃねえか」とヤジを飛ばしました。

B君は普段から生意気で野放図なわがまま坊主でしたが、そのヤジに対して、先生が「B君!」と大きな声で一喝しました。

B君はきまり悪そうな表情を見せ、A君は黙ってうなだれていました。

そのあと、先生は説教をするでもなく、何事もなかったように授業を続けましたが、私は子供ながらに「良いものを見た」という感覚を覚えました。

きっとクラスのみんなも同じように感じたと思います。
子供はきっとこういう単純なことで「正義」を心に刻んでいったのだと思います。

昔、まだ人権意識が低かった時代に、無邪気な子供が思いつくままに大人の前でも悪い言葉を包み隠すことなく平気で口にしていたということでしょう。
大人はそれを叱り飛ばすだけで済みました。

人権意識が高まり「差別やいじめはいけないこと」と誰もが知っている成熟した今の社会では、悪行動は地下に潜り、子供の世界でどんないじめが起きているのか、大人が把握しにくくなっています。だからいじめの解決は難しいと言われます。

「差別やいじめはいけないこと」を単なる知識として頭に入れておくだけで問題が収まらないのは明らかなのです。

やはり、これには低学年のうちの「正義感の涵養」が必要ではないかと私は思います。

道徳教育に力を入れたっていじめはなくならない、と言い続けるある種の人々がいますが、果たしてそうでしょうか。

教育学者の貝塚茂樹氏が産経新聞に「いじめ許さぬ道徳教育の使命」と題する一文を寄せています。

「学習指導要領において道徳教育が、『自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基礎となる道徳性を養うこと』を目標としていることをわすれてはいけない」
と指摘し、『道徳教育をしてもいじめはなくならない』という傲慢な批判はもういらない。」と断じます。

私はこの意見に同感です。

なぜ「ある種の人々」が道徳教育で正義感を教えることに反対するのかについては、理由はわかっていますが今はさておくとして。
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昔の子供がよく読んだ少年小説についての書評を引用して書いたことがあります。→ 「鞍馬天狗」 

何かと忙しい今の子供に本を読む時間はないかもしれません。
しかし、たとえ一冊でもいい、何時限費やしてもいい、道徳の時間を使って、わかりやすい勧善懲悪ものの少年小説を読んでみるのもいいじゃないかと思います。

子供だって、正義の行使には感動するのです。
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 よろしくお願いします →  
                      


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コメント

こんにちは。
近頃だって、生まれて5~10年程度生きている子供に大差はないと思う案山子です。ただ、子供が暮らしている家庭に余裕がなくなって、お父さんの出世に不満なママの餌食になって、さらに弱いものいじめになっているのかも。・・・辛口すぎるかしら?
ゴメン、すっかり感心が薄くなっています。

ちょっと、お尋ねしていいですか。自分で調べるべきでしょうが、ご存知かと思って。
戦争末期になると、空襲で多くの市民(庶民)が命を落としましたね。東京の大空襲だけでなく、日本の都市の多くが焼け野原。で、戦後、空襲で死亡した働き手に対する補償って、あったのかしら。
戦地で死亡した兵隊の遺族や、帰還兵についても、軍事恩給の支給がある(帰還後数十年後に死亡したら、妻に遺族年金)けれど、空襲の犠牲者はどうなっていねのだろうか、と、ふと知りたくなったので。よく、朝鮮の慰安婦の補償問題が話題になるけれど、空襲で生活のよりどころを失った非戦闘員に対して、戦後どう対応してきたのかしら、と。ご存知でしたら教えてください。

投稿: 案山子 | 2016年11月21日 (月) 12時39分

★案山子さん

>近頃だって、生まれて5~10年程度生きている子供に大差はないと思う案山子です。<

それでは11歳ぐらいから突然近頃の子供の特徴が育ち始めるのでしょうか。
おそらくもっと小さい頃からその「芽」は芽生え始め、育ち始め、徐々に、昔の子供にはなかったような心の状態になっていくのだと私は考えます。
それを感じたのは、ボーイ(カブ)スカウトの世話役をやっていた時です。
大人びた子供が何人もいました。こんなに小さいのにこんなこと言うの?と戸惑いを感じたのですが、それは単なる生意気だったかもしれない、こまっしゃくれてるだけかもしれない。でもちょっと怖かったcoldsweats01
みんながみんなそうではないでしょう、もちろん。
けれども、人を死にまで追いやるような陰湿ないじめのニュースに触れるたび、「子供の心を強く育てなければ」と思わずにいられません。

私は子供に正義感を植え付けるのをちっとも悪いことだと思いません。

昔の子供は単純な勧善懲悪の子供小説などを読んで正義のカッコよさを思い切り感じたものです。
家庭や地域だって子供に善悪の区別を教える役割を担っていました。

でも、今の時代、家庭や地域その他がその役割を十分に果たせないのなら、直接子供たちに働きかけが出来るのは「組織」である学校しかないでしょう。

「道徳教育などしたっていじめはなくならない」「子供はそういうもんだ。昔と変わらない」などと言いながら、いじめという社会問題を「どうしたらいいのか」と嘆き続ける不合理をどうにかすべきだと私は思うのですよ。

空襲被害の補償については、ごめんなさい、私は何も知りません。

投稿: robita | 2016年11月21日 (月) 16時46分

ゴメンゴメン。私が余計なお尋ねをしましたね。よく慰安婦問題など戦後賠償に話題をなさっているので、惨禍絡みでご存知かと。戦争というものがどういうものか、どのような悲惨な状況を人々にもたらしたのか、そういう全体を把握しつつ、部分にも対応することが、説得力に繋がると思うのです。自分勝手なコメントでした。
道徳については、昔の物語を無理に引っ張りでさなくても、例えば、宮崎駿さんなどの提供していらっしゃる物語の中にも、いいものがいっぱいあるのではないでしょうか。早い年齢から評価を気にして、点数にこだわったりするのはママたち。あっ、すでに門外漢のおばあちゃんの立場で幼い子を見守る役割でありたいと思っています。自分の孫にも、近所の子供達にも。

投稿: 案山子 | 2016年11月21日 (月) 18時15分

★案山子さん

>昔の物語を無理に引っ張りでさなくても<

そう、いいんですよ、無理に引っ張り出さなくても。
良いものがあれば昔のものでも今のものでも。
教材として使うのであれば小説より偉人伝のほうがいいでしょうね。
ただ、私がわざわざ昔のブログ記事を引っ張り出してリンク貼り付けたのは、そこで書いたように、 「子供にはプリミティブなものが効果的ではないか」「大人のひねりが入ったものは基礎的な教育の教材としてどうなのか」という考えを説明したかったからです。 

宮崎駿の作品はたしかに面白いけれど、別にそれを使わなくても、昔の少年向け読み物や偉人伝のほうが単純でわかりやすいのではないでしょうか。宮崎作品は個人的にいくらでも見に行けるし。

よく思うのですが、音楽の教材も(現在はどうなってるか知りませんが)、流行歌を使うようになりましたよね。そんなのわざわざ学校で歌わなくたって自由に学校外で楽しんでますよね。
小学唱歌や伝統的な日本の歌には良いものがたくさんあるのに、もったいない。

どういうわけか古いものは嫌われる(笑)

投稿: robita | 2016年11月21日 (月) 22時17分

NHKのアーカイブスで近代史を扱った番組を見たりします。明治期以降大変革を遂げた教育制度についても、国家は四苦八苦しています。これまで身分制度で同逆立ちしても、身分にふさわしい職業に就くことができなかったのに、学問すれば輝かしい未来が待っているという社会になったのです。で、子供に猛烈に勉強を強いる風潮が起こったそうです。何でもかんでも丸暗記という、今から見たら?の部分も多いものだったり、です。
それはよくないと、何度も改良されながら今に至っているのでしょうね。
教材についても、いちから作り上げていくようなものです。参考にした西洋の歌などを使わせてもらったりしたのもそういう事情の中からだったようです。
現代教育の黎明期のリーダーたちの意識の高さ、同じ日本人だからか、誇らしく思ったりします。robitaさんのコメントと齟齬ができちゃうかもしれませんが、古いものはよい、ではなく、温故知新だと、思う立場です。

投稿: 案山子 | 2016年11月24日 (木) 11時25分

★案山子さん

>何度も改良されながら今に至っているのでしょうね<

そうですね。何事もそうですが、特に教育に関しては「ああでもない、こうでもない」と改革されたり、また元に戻したりが繰り返されてきました。

>古いものはよい、ではなく<

「古いものがよい」ではなく、古いものでも新しいものでも、子供たちの成長のために適当と判断して教材を選ぶんですよね。

いずれにしても道徳心を養うことは幸福につながりますから、学校でしっかり教えていただきたいです。

投稿: robita | 2016年11月24日 (木) 13時22分

正義を教えるのは難しいと思います。
正義感は過激に陥りやすいから。

robitaさんの小学校の先生は一言で効果がある、と確信したのだと思います。
だから、一喝した後、何事も無かったように授業を続けることができました。

しかし、相手に通じないと思ったら、何度も何度も繰り返し、
そのうちに過激になる、のです。

絶対的な正義というものは無い、と私は思っています。
トランプ氏が許せない、クリントン氏の方が許せない、とか、憲法9条こそが正義だと思っている人もいるでしょう。

人を傷つけてはいけない、というような当たり前の単純なことなら良いですが、
先生が教室で正義を教えるのは危ないような気がします。

投稿: kai | 2016年11月28日 (月) 14時51分

★kaiさん

「正義と正義がぶつかる」などということになると戦争をイメージしてしまいますね。
でもkaiさんの仰る9条盲信などは特殊な事情による日本特有の現象です。
今、人の思考は、右翼とか左翼の線引きなどできず、非常に柔軟になっていると思います。「正義の思い込み」をそんなに警戒する必要はないんじゃないでしょうか。
もちろん、高齢者を中心に頭の硬直した左翼(右翼も)がまだまだ多いのは事実ですけどね。

道徳教育とは簡単に言えば「事の善悪」「人の道」を教えるという単純なことです。
「過激になる」などと心配することはないと思いますよ。
それは家庭生活や学校生活の中でも折に触れて学んでいくことでしょうが、道徳の授業として、昔話や偉人伝のようなものは、誠実や努力や友情の美しさを子供に味わわせるのにとてもわかりやすく、良い教材じゃないでしょうか。
子供の心を動かすことが大事だと思います。感動は人間の行動の原動力ですから。

投稿: robita | 2016年11月28日 (月) 21時16分

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