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2017年5月31日 (水)

「意識」はどこへ行くのか

「かつて自分が存在しない時があったことなど、誰も気にしない。とすれば、自分がいなくなる時が来ることも、何でもないはずだ」

 

イギリスの随筆家ウィリアム・ハズリットという人の言葉だそうですが、なるほどねえ、と頷いてしまいます。

死ぬと「自分」はどうなるのか・・・・、誰でも考えたことがある疑問でしょうね。

若い人は特にそう思うだろうし、老人が達観しているかといえばみんながみんなそうではありません。
死ぬと天国に行くのか地獄に行くのだろうか、と思ったり、いや、もう脳はないのだから、楽しいとか苦しいなどととは感じないはずだ、とか。それにしても「自分がなくなる」とはどういうことなのか。暗闇の中に一人ポツンと存在するということなのか。しかし、「自分」はもう存在しないのだから暗闇だとか一人ぼっちだとかさえ認識できないはずではないか・・・

 

私は、「自分という存在がなければこの世はない」と理解しているので、死ねば自分が存在しなくなるとは思ってはいないのです。

この世界は人の意識の集合体でできているという説があるそうですが、それはなんとなくわかります。

「自分」という存在は、この世の存在にとって「必然」。

この世を認識する主体として必ず「自分」が存在しなければ、この世が存在するはずがない。

つまり「自分」が存在するからこの世がある。

私はこのことについていくつも文章を書いており、例えば次のようなものがあります。

「生きる」 

 

10年前に亡くなった哲学者池田晶子は 「生きても死んでも大差ない」と言っていました。

往年の女優賀原夏子は亡くなる前 「いよいよ死ぬかと思うとドキドキしちゃう。初めてのことって面白い」と言っていたそうです。

こういう感覚が私はとてもよくわかる。

諦めとか達観などということではなく、再び新たな「自分」の始まりがやってくるだけ、という感覚を持っています。

人それぞれの意識はいったん生まれればなくなることはないだろうと私には思えます。

大丈夫、あなたの意識は何かの形で必ず存在し続ける。

そうはいっても、そんなふうに思えない人に「そう思いなさい」といくら言ったところで、そう思えない人がほとんどでしょうから、この話は終わりにして、次行きます。

 

それに「人の意識がこの世を作っている」などといっても、まだまだわからないのは、人と動物の意識の境い目や、人の知性や感情に近づいてくるAIについて、どう考えたらいいのだろう、ということなど。そういう疑問はこれからどんどん膨らんでいくのではないでしょうか。

  
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コメント

こんにちは。
60代ですが、これまで、たまたま命をストップさせるほどのことに出くわさなかった、それだけという思いがあります。
突然交通事故で死んだり、災害で死亡という立場になる人もあるわけで、心の整理とかなんにもなくても「終わり」が来る時があるんだ、という気持ちです。
だから、悔いのない毎日を送らなくてはならない、につながるのですが、、、。そんな思い通りにもならず。
でも、ずいぶん前に亡くなった人を思い出しながら生きている。その人は死んでいるのだけれど、私の中で存在している、そういう関係ってのもありますよ。

投稿: 案山子 | 2017年6月 1日 (木) 19時07分

こんな素敵な考察が出来る方でいらっしゃるのにね。
玉にキズとは····よくいったものです。
ご健筆をお祈りします。

投稿: unknown | 2017年6月 1日 (木) 23時20分

★案山子さん

観測者が見るがゆえにこの宇宙が存在する、なんて摩訶不思議ではありますが、妙に腑に落ちる説明ではあります。
量子力学を理解する頭脳は持っていませんが、興味をそそられる分野です。

>心の整理とかなんにもなくても「終わり」が来る時があるんだ、という気持ちです。<

そうですね。人の死は予測できませんね。

>その人は死んでいるのだけれど、私の中で存在している<

そうですね。私もそういう人何人もいます。

投稿: robita | 2017年6月 1日 (木) 23時34分

★unknownさん

よかったら、その「キズ」とやらについてお話しませんか

投稿: robita | 2017年6月 1日 (木) 23時38分

robitaさん こんにちは。
いつも楽しく読ませていただいています。

人間の意識について、robitaさんの考えをちょっぴりでも理解しようと頑張りましたが、わたしの平凡な脳では無理でした。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

私は人間の意識を次のようにとらえています。

生命体は個々に存在しているように見えるけれども、実は何かでつながっていて、全体として機能している。ですから私の中では、植物も昆虫も人間も同等です。人間は生命体として、脳を発達させたために、自分と自分以外をはっきりと認識できるようになった。それが「意識」ではないかと。

個々の生命体の「死」はほとんど予定されたことだと思っています。全体としては生き続けるというか・・・

robitaさんのおっしゃっていることとは、まるでかみ合わないとは思いましたが、すみません。

投稿: みどり | 2017年6月 7日 (水) 16時48分

★みどりさん

私もただ勝手に「たぶん、こんなことじゃないか」と思っているだけなので、学術的な考察などできません。
ただ「自分」は別の形で再びこの世界を認識し始めると考えるしかない、と思ってしまうのです。

>生命体は個々に存在しているように見えるけれども、実は何かでつながっていて、全体として機能している。ですから私の中では、植物も昆虫も人間も同等です。人間は生命体として、脳を発達させたために、自分と自分以外をはっきりと認識できるようになった。それが「意識」ではないかと。<

私の感じ方もそれに似ています。
「人間と動物の意識の境い目」がわからない、と私は書きました。
犬とか猫だって「見る」ので、見た対象を認識し、何かを思うのでしょう。でもそれは人間の意識とは違いますね。
でも、脳が高度に発達した人類だけが「意識」を持つかと言えば、人間に限りなく近づいてくる人工知能はいったいどういう存在になるのか、という疑問も湧いてきます。

>個々の生命体の「死」はほとんど予定されたことだと思っています。全体としては生き続けるというか・・・<

これと同様のことだと思うのですが、私もこの記事の続きとして文章を作っていますので、あとで載せます。

長くなるので2日に分けます。

投稿: robita | 2017年6月 7日 (水) 23時29分

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