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2017年6月 9日 (金)

cosmos

前記事より続く>


もし「生きても死んでも大差ない」が本当のことだとしたら、自ら命を絶つ人はどんどん出てくるでしょう。
もう死んでしまいたいと思うほどに悩んでいる人など珍しくないのですから。

この辛さは死んでしまえば終わりになるどころか、新しく生まれ変わることができるなら、そのほうがずっとマシではないかと思ってしまいますよね。

ここで人に不可欠なのが宗教心ということになると思います。

他者を害することはもちろん、自死もロクな生まれ変わりをしない、あるいは地獄へ堕ちる。世界中の宗教がそう教えます。

それはなぜかというと、現世の秩序維持という目的もありますが、同時に実は宇宙全体の安定が図られているのではないでしょうか。

何を言い出すのだと思われるかもしれませんが、この宇宙はきっと、「善」とか「美」、あるいはもっと他の、私たちには想像もできないような価値の実現のために生まれたに違いないと私には思えます。

その至高の価値について説明できる言葉など持ちませんが、それを構成する要素として、宇宙広しといえども、人間の幸福感や感動に勝るものはないのではないかと私は思います。

意識が集まってこの世ができているとするならば負となる邪悪なものはできうる限り排除されなければならない。

幸福感を味わうとか感動するといった人間の正の意識。そういう意識を増やすために、人は自分の行動を律しなければならないんじゃないでしょうか。

現世を良く生きることは良い生まれ変わりにつながる。そう思って行動し人生を全うしなければ、意識を持つ人間として存在する甲斐がない。

何も厳正に自分を縛らなくてもいい、適当な人生でもいいから、人を殺めたり自らの命を無理やり終わらせるようなことだけは禁忌としなければならない、そんな風に思います。

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