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2017年6月26日 (月)

やらなければやられるという時

国会議員豊田真由子氏のパワハラに関してのフリーライター赤木智弘氏の論考です。→ 「豊田真由子さん。お願いなので、もう表に出てこないで」    

氏の主張はその通りだと思いますが、私は次の記述に興味を持ちました。

≪豊田議員の問題が明るみに出る数日前、Twitterで1枚の風刺絵を見た。
それは、上司のいじめに対する風刺画で「タイでは上司にいじめを受けた部下は上司を刺し殺すが、日本では部下が自殺をしてしまう」と言うものだった。≫


国際的に見て、タイが特殊なのか日本が特殊なのか、それとも他の国ではもっと良い解決法があるのか知りませんが、日本という国の姿勢自体がそういう特質を持っているのだろうなあと思いました。

他国から理不尽ないじめを受けたり、領土を奪われかねない侵犯行為をされ続けても、我慢に我慢を重ねる。

憲法9条はまさに、「反撃するより日本が自殺するほうが望ましい」という意図で作られたものだったのだなあ、と思えてきます。

日本人のメンタリティは昔からそうだったのか、それとも戦後こうなってしまったのか、それは私にはわかりませんが、執拗にいじめる相手に反撃するより自殺するほうを選ぶというのはどうにも納得がいきません。


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漫画雑誌「ビッグコミック」に連載されている
「空母いぶき」(かわぐちかいじ)に、自衛隊によって中国の潜水艦が撃破される場面が出てきます。

相手が先に攻撃を仕掛け、こちらは自衛のため仕方なく反撃をしたわけですが、それでも、中国の潜水艦を沈め兵員150名を死亡させた「戦果」を公表するかどうかで政府は悩みます。

戦闘行為をした上、多数の死傷者を出したことに国民は耐えられるだろうか、反戦感情に火がつき政権も持ちこたえられないのではないか、といった議論になります。

「いずれ知られることとなる」と、総理大臣は国民に向けての会見を決断します。

普通に考えれば、侵略されれば防衛するのは当たり前で、戦闘が起きれば死傷者だって出ます。

150名もの人命が失われるというのは確かに重大ですが、身を護るために行った当然のことを、国民に知らせるかどうか悩まなければならない日本という国を、的確に表現しているなと思いました。


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今回のパワハラ事件で、秘書は録音という形で反撃をしたわけです。

そして、いじめた当人は潰された。戦略勝ちでしたね。

この秘書の方にも問題があったのかどうかはわかりませんが、あの議員の常軌を逸した攻撃性には、何らかの手は打たなければならなかったでしょう。

いじめを止めさせるための戦略は、受けている本人も持つべきと思いますが、周りの協力も必要です。

「いじめは許さない」という強い正義感をみんなで共有することが出発点だと思います。

優しい心というのは、本当は正義感からくるものなんだ。

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2017年6月24日 (土)

老人だから見苦しいわけじゃない

人事コンサルタント城繁幸氏が「サンデーモーニング」での関口宏氏の発言について論評していて面白いです。→ 「若者ってなんで変化を求めないの?と思った時に読む話」

「今の若者は元気がないから変化を起こそうとしない」
とか、「もう成長の時代じゃないのだからこれからは慎ましく生きるべき」といったことは、サンデーモーニングでは昔から繰り返されています。

私も取り上げたことあります:

≪若者ヘタレ論≫
   .サンモニのレギュラーコメンテーター法政大学学長の田中優子氏は「あなたたちは元気がない。昔の学生は考える前に行動を起こしたものです」と学生たちをけしかけるような講義をしていたみたいです。→「愛国心、これでどうでしょう」
 
≪平等に貧しくなろう≫
   これも田中優子氏のサンモニでの発言です。→ 「平等に貧しい」  
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城さんは、大雑把に高齢者と若者の世代間ギャップを論じています。
たしかにそういう傾向はありますが、一概に年取った人と若い人のメンタリティの違いとも言えないと思います。

ネットでは反政権一辺倒のサンデーモーニングのような論調に拒否感を示す高齢者も見られますし、反政権ですっかり固まってしまった若年者もいます。

要するに、情報量(多様な意見にアクセスできる能力)と頭の柔軟性の違いでしょうね。
 
笑ったのは、城氏の記事のコメント欄の:
「関口宏氏をテレビが使い続ける理由が判りません。
誰があの人を支持しているのでしょうか。
老人も老人の顔を見るのは嫌なものです。」

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2017年6月14日 (水)

戦うべき相手は誰なのか

もう10年近く前になるんですねえ。
志ある元官僚たちが「脱藩官僚の会」を結成して霞が関改革の旗を揚げたのは。→ https://kotobank.jp/word/%E8%84%B1%E8%97%A9%E5%AE%98%E5%83%9A-188199

官僚の手の内を知り尽くした元官僚たちが、官僚支配から脱却して政治を国民の代表たる政治家に取り戻そう、と意気込んでいたのではなかったのかなあ。

民進党の中にもそのメンバーがいるでしょうに、その人たちは加計問題で省益優先に走る官僚の肩を持つようなことをやっています。

あの志はどこへいったのでしょうか。

メンバーだった岸博幸氏が怒っています。 → http://www.sankei.com/politics/news/170612/plt1706120032-n1.html

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さて、嘗ての自分たちの居場所を取り戻そうと、躍起になって反撃の勢いを増してくる左翼勢力なんですが、彼らは「反日」とも言える特異な人々です。

そういう人たちが日本の国会議員になっていたり、「市民」と称して日本を貶める活動を熱心にやってるわけで、こういう人たちが日本国民として存在するのはもう仕方がないことです。確固たる信念があって活動しているのだからどうしようもない。

≪新安保法は戦争法だ、日本が戦前のように暴走して戦争に突っ込む。
 共謀罪は戦前の治安維持法と同じ。言論の自由がなくなり、国民はいつも監視される≫

こうした煽り方で国民の気持ちを誘導する彼らは、かつて実際にテロ事件を起こし、日本を不安に陥れた暴力集団の系譜に連なる人々ではないのでしょうか。

こういう人たちがまた凶悪なテロ事件に関与することになるのではないかという懸念と、今の日本が再び戦争に突っ込むのではないかという懸念、どっちが現実味があるだろうかと私はよく思います。

私は、かつて革命を画策し、罪なき人々を死傷させた集団のほうがずっと怖い。

だって彼らの思想を引き継ぐ者たちの活動が今現在も日本各地で活発なことを考えれば、そのほうが自然なんじゃないでしょうか。

ただ、現実的には今の時代、彼らが武器を使って日本社会に何か悪さをするとは考えにくい。

しかし彼らの言動には、中国と手を組んでいるとしか思えない、朝鮮半島の応援をしているとしか思えないところがあります。

それがとても怖いと思います。

彼らがなぜ特定秘密保護法に反対するのか。
彼らがなぜ安保法に反対するのか。
彼らがなぜテロ等準備罪に反対するのか。

右派や現政権支持者の中にもこれらの法律に反対する人はいます。

しかし彼らの反対の理由は、反日左翼勢力の反対論とは論点が違っています。

左翼は、戦前の治安維持法と同じだとか、戦争に突き進むだとか、言論の自由がなくなるとか、一般の人が共謀の罪で逮捕されるだとか、突拍子もないことばかり並べ立てますが、まともな人々のまともな反対論を聴いてみると、それらとは全然違うのがわかります。

たしかに安保法は穴だらけであるらしいし、共謀罪も矛盾を抱えています。

しかし、だからこそ本気の議論が必要なのに、とにかく加計問題などで政権を打倒することしか頭にない野党が多い。

ほとんどの野党は、安倍政権を倒すことしか考えていない。
マスコミは政界がゴタゴタを起こすと儲かるのでどんどん煽る。

そして日本に敵対する周辺国と、種を撒いた左翼活動家はほくそ笑む。

そういう構図になっていて、多くの国民はそれを知らずに流される。

野党もマスコミも国民も、特殊な「反日左翼」の仲間になってしまってはだめなんですよ。
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現政権は危険だ、という印象操作に易々と乗ってはだめ。違う意見も聞いてみて、実は何が危険なのかということを考えなきゃいけません。

テレビや左翼新聞の言うことだけに影響されていると思われる年配者のブログ記事などをたまに目にすると、せっかくインターネットを利用できる環境にいらっしゃるのに残念なことだなあと思います。

国民がしっかりしなきゃ政治を良くすることはできないんですよ、民主主義なんだから。

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2017年6月13日 (火)

飽き飽き

なんかワイドショー、まだ加計学園問題やってますね。

たいした問題ではないと思っていたけれど一向に収束しないどころか、ますます野党やマスコミによる盛り上げ方が激しくなってきた感があります。

政府は仕方なく、追加調査をするなどと言わざるを得なくなりました。

ネットでは、右派のみならず安倍政権に批判的な人までが、加計学園の認可経緯はそんなにおかしなものではない、と指摘しているのに、テレビや左翼マスコミは一切そういう意見を紹介しませんね。

ネットで見られるのは例えばこういった意見です。
・田中秀臣  http://ironna.jp/article/6694?p=1
・朝比奈一郎 http://blogos.com/article/226755/

本筋とは関係ないけど、興味深いのでこれも: 
        → 木走正水 http://blogos.com/article/226897/  

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問題をこんなに長引かせてしまったのは、官邸が最初の対応を間違ったからだと見る人が多いようです。

先日のBSフジ「プライムニュース」でも、こういうメールが視聴者から寄せられました。

「官邸はなぜこんなにムキになって(文科省の内部文書を)否定するのでしょう。文書の存在を認めた上で、”総理は指示したことはなく、内閣府の勝手な忖度である”、とダメージコントロールしていればこんなに大きな問題にはなっていなかったのではないでしょうか。」

すると、民進党の江田憲司氏が、「その通りですよ。内閣府に聞いてみますと言えば済むものを、官房長官がいきなり前川批判。初動対応を間違ったんじゃないですか」と。

さすが、官僚の保身体質を熟知しており、官邸経験もある江田氏、わかってらっしゃるじゃないですか。民進党なんかにいるべきじゃないなあ。

加計学園問題も森友問題も、とにかく現政権を潰そうという目的から熱心に取り上げられます。

国民が戦後思想から目覚めつつあり、安倍政権の支持率も好調な中、戦後の言論空間を独占してきた左翼勢力は追い詰められ、フラストレーションをためながらできることと言えば「政権の暴走だ。独裁だ。言論弾圧だ」などとおかしな言いがかりをつけることしかできなかったのが、格好の攻撃材料がみつかりましたね。

この騒ぎは簡単に言えば、立場が悪くなっていた左翼勢力の逆襲でしょう。



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2017年6月12日 (月)

団塊世代の最後の大仕事

前記事より続く>

さて、思いつくままのんびりと生死の哲学を語るのもなかなか楽しいことですが、一方で、現実社会は切羽詰まっています。

この凄まじい少子高齢化という状況は「平時」ではない。
「緊急事態」にどう対処すべきか、ということを考えなければならない時代に私たちは生きています。

近頃、死を語ることの禁忌性が徐々に薄れてきて、「長生きはそんなに良いことか」などと問題提起されることも多くなり、人々が人生の終い方に果敢に向き合うようになってきました。

そうは言っても、老人だって特にやることなくてもなるべく健康で長生きしたいでしょうから、世はまさに健康ブームです。
アスレチック教室に通ったり、健康食品をあれもこれも購入して健康に気を遣います。
お金が廻り経済が活性化するのは、それはそれで結構なことです。やれる人はおおいにやるべし。
健康は何よりです。

問題は回復の見込みもなく寝たきりの状態なんかになった時です。

脚本家の橋田寿賀子さんは、安楽死を法制化してほしい、と発言しました。
いいなあ、あれぐらいの年になるとそういうこと平気で言えるんだもんなあ。
私なんか年寄りとは言ってもまだ69歳。若手のほうだから、そんなこと言ったら「老人は死ねと言うのかっ」って80歳の人から叱られてしまいます。あー、早く80歳になりたい。80歳になって平気ですごいこと言いたい。・・・それまで生きなきゃならんのか。なんてこったぃ。

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「安楽死」という方法には過激な印象を持ってしまいますが、橋田さんは自分が認知症になってしまった時のことを想定して、そういう法律があれば認知能力があるうちに選択することができると言います。

たしかに認知症になって自分が自分でなくなって長生きするなどというのは想像するだけで恐怖です。こんな場合には「安楽死」も選択肢に入れておきたいと思うのはそんなにおかしなことではありません。

しかし、安楽死はともかく、尊厳死さえ躊躇してしまうのが高度に医学の発達した現代社会というものでしょうね。

回復する見込みがなくなった高齢の患者に限り、家族の同意を得て延命措置を施さない、というのは医療現場ではすでに行われているようです。

回復の見込みがなくても機械に繋がれて心臓だけは動いているという状態の時、可哀想だからと言ってそれを人為的に中止すれば、犯罪となってしまいますが。

誰だって自分は機械に繋がれた植物状態にはなりたくないと思っているでしょうに、第三者的な立場になると「人の命を奪う」ことの恐ろしさに身がすくんでしまいます。

死を忌避するあまり、苦しみを長引かせたり尊厳を損なわせながら回復の見込みのない老人の心臓を無理やり動かすことは、善意のようでいて実は誰のためにもなっていないのではないでしょうか。

みんなの少しの勇気で老人も平穏な終末を迎えられるようになるし、次の世代の人たちの生活や未来も救われるでしょう。

社会学者の上野千鶴子先生は「文芸春秋」特集≪安楽死の是非≫でこう述べています。
≪生まれる時も生まれ方も選べないのに、死に時と死に方を選ぶのは人間の傲慢。「生きるに値しない生命」を選別する根拠にもなる。尊厳死と安楽死の間はグレーゾーンで境界がつけられない。本人も周囲も最期の最期まで迷い、悩みぬけばよい。≫

こういう気持ちもすごくよくわかるのですが、人間社会の価値観は時代によって多少は変わるものだと思います。死生観だって、時代により人により、いろいろあるのではないかと思います。

だからこそ、自分で選べる、という制度を整えておくことが必要。

これからは、リビング・ウィル(延命治療を拒否するなどの生前からの意思)を表明しておくということが大事になってくると思います。

リビング・ウィルを残さないまま意識不明になってしまった場合も葛藤はあるでしょうが、決断を迫られることになるでしょう。

昔なら自然に亡くなったであろう状態の老人をどうしてあげるのが最善なのか、みんなで考えていかなければならない問題だと思います。

難しいと言えば難しいけれど、医師を含む周囲の人々がみんなで合理的な判断をして、善意の決断だという自信を持つ必要があるんじゃないでしょうかねえ。

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お医者様の見解です:
             中村ゆきつぐ 「尊厳死 議題へ」 


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過去記事: 「リビング・ウィル」         
        「死亡率100%」        
        「日 本人の死に時」        
        「老人vs非老人」         
        「やっかい者になりたくない

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2017年6月 9日 (金)

cosmos

前記事より続く>


もし「生きても死んでも大差ない」が本当のことだとしたら、自ら命を絶つ人はどんどん出てくるでしょう。
もう死んでしまいたいと思うほどに悩んでいる人など珍しくないのですから。

この辛さは死んでしまえば終わりになるどころか、新しく生まれ変わることができるなら、そのほうがずっとマシではないかと思ってしまいますよね。

ここで人に不可欠なのが宗教心ということになると思います。

他者を害することはもちろん、自死もロクな生まれ変わりをしない、あるいは地獄へ堕ちる。世界中の宗教がそう教えます。

それはなぜかというと、現世の秩序維持という目的もありますが、同時に実は宇宙全体の安定が図られているのではないでしょうか。

何を言い出すのだと思われるかもしれませんが、この宇宙はきっと、「善」とか「美」、あるいはもっと他の、私たちには想像もできないような価値の実現のために生まれたに違いないと私には思えます。

その至高の価値について説明できる言葉など持ちませんが、それを構成する要素として、宇宙広しといえども、人間の幸福感や感動に勝るものはないのではないかと私は思います。

意識が集まってこの世ができているとするならば負となる邪悪なものはできうる限り排除されなければならない。

幸福感を味わうとか感動するといった人間の正の意識。そういう意識を増やすために、人は自分の行動を律しなければならないんじゃないでしょうか。

現世を良く生きることは良い生まれ変わりにつながる。そう思って行動し人生を全うしなければ、意識を持つ人間として存在する甲斐がない。

何も厳正に自分を縛らなくてもいい、適当な人生でもいいから、人を殺めたり自らの命を無理やり終わらせるようなことだけは禁忌としなければならない、そんな風に思います。

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2017年6月 8日 (木)

意識の拡散

前記事 より続く>

死んでも「自分」という意識は存在し続けるはずだ、と私は思っているのですが、それはいわゆる「生まれ変わり」なのでしょうか。

幼い子が、知るはずのない時代や地域の「事実」を語るという「前世の記憶」について世界各地で報告がありますが、これはトリックの類ではないかと私には思えます。

この無限ともいえる宇宙に、地球という特定の小さな場所に生前の記憶などという意識がとどまるものだろうか。

意識が
「この世界の最も小さい物質よりさらに小さな存在で、重力や時間や空間にとらわれない性質」 を持っているなら、瞬時に全宇宙に拡散しそうなものです。
お隣の宇宙の、あるいはもっともっと離れた宇宙の中で新たな「存在」として目を覚ます、と考えるほうが自然です。

まあ、ごくまれに地球に居座る意識のかたまりなんてものもあるのかもしれません。だとしたら「生まれ変わり」は本当のこととも考えられるのですが。

こういう話、ピンと来ない人はいるかもしれないけれど、宇宙の広がりと、「自分」という存在に不思議を感じる人ならなんとなくわかるのではないでしょうか。

要するに、≪「自分」は消滅しない、それはこの世が存在するため≫ ということなのですが、肝心なのはここからです。

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