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2018年2月 8日 (木)

振り返って見える足跡

私はかなりのロマンチストでありまして、恋愛に関しても純愛信仰と言いますか、運命的な恋愛で結ばれた男女が生涯愛し合い添い遂げるなんてぇ様式美に憧れを持っております。

少女時代からのそういう思い込みは古希を迎える年になっても全然変わりません。ずっとそういう理想を夢見続けているのです。

それは現実でもあり得ないことではないでしょう。

優しさと男らしさを兼ね備えた男と、清く正しく美しい女の組み合わせであれば破綻することなく生涯愛し合う可能性は高いでしょう(笑) 藤沢周平作品に出てくるようなヒーローとそれに寄り添うけなげで楚々とした娘・・・あぁたまりません。

まあ別にそういうパターンでなくてもいいわけですが、気に入った同士が夫婦となって最後まで美しく添い遂げるかと言えばそんな保証はまったくない。

理想は理想、現実は現実、ということで、世の実態を見るにつけ、恋愛という一時の感情が最終的な人の幸せを決めるものではない、という理解も身についてまいります。

特に大恋愛でなくても見合いして結婚し、やがてはお互い空気のような存在になっていくという夫婦関係でも人生の終わりにこれで良かったと思えるならば、その結婚は大いに成功だったと言えるでしょう。

昨日の産経新聞コラム「透明な歳月の光」で曽野綾子さんが≪「先はわからない」という知恵≫という一文を書いています。

文章の導入部分を要約すると;

≪同世代の知人の女性が老人ホームに入り、とても充実した生活を送っているという。ご主人はご自分の希望で一人家に残っているのだが、時々ホームに訪ねてきて共に語らう時間を過ごす。
奥さんが一人でホームに入ったのは、炊事をしにくい病気があるのと、ご主人とあまり気が合わない性格だったかららしい。
「以前は主人のことが好きではなかったけれど、今では私の気持ちを大切にしてくれる得がたい人だということがわかるようになりました」と言う。≫

若い時にこういうことが見えていれば誰も悩んだりしないのにねえ。


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