まやかしの「オール沖縄」
翁長雄志氏が自民党に反旗を翻すことになった二つの理由があると、一昨日のラジオでジャーナリストの青木理氏が語っていました。
一つは2013年4月28日の「主権回復の日」の式典。
サンフランシスコ講和条約により占領が終わって日本が独立を回復した日として式典を行ったことが沖縄県民の心を傷つけました。
なぜなら、本土は独立しても沖縄はそのままアメリカの施政下に置かれたままだったからです。
それでも、麻生さんなどがずいぶん前から「終戦の日より独立の日だ」と言って4月28日にかなりこだわっていました。
あの式典には、ニュースで見ただけですが、なんだか不自然な空気が流れていたように思います。なんとなくぎくしゃくした雰囲気だったのは、自民党内でも反対意見もたくさんあったからではないかと思います。
たしかに、国が主権回復したことを祝いたい気持ちはわかりますが、そこに沖縄への配慮がなかった。
もう一つは、沖縄集団自決が軍の強制によって行われた、という記述が歴史教科書から削除されたことです。
これについては、「軍の強制」が定かではないということで、そのような措置になったのでしょうが、これも反発が大きかったようです。
しかし、これらのことは「なぜ私たちが怒っているのかわかりますか」と、翁長知事が政権に対して真剣に迫れば歩み寄れる問題ではないでしょうか。
話し合いです。話し合いをして、相手にわかってもらい、気持ちを通じ合わせる。安倍首相や菅官房長官がそれほど話が分からない人たちとは思えません。
ニュース映像などでも、翁長さんより深く頭を下げて挨拶している首相の姿が見られます。相当気を遣っているのではないでしょうか。
翁長さん側はただへそを曲げて「気に入らない。何も言いたくない。辺野古の工事は承認しない」という態度のように見えるのですが、もしそうなら、物事を前に進めるために、胸襟を開いて話し合いをしてみたら良かったのに、と思います。
こう考えてくると、「二つの理由で自民党に失望してしまった」という言い訳はなんだかこじつけのように思えてきます。
実は沖縄を苦しめる本当の問題は、イデオロギー対立とか「基地容認」vs.「基地反対」とかいう単純な問題ではなく、琉球王朝時代から続く沖縄自身の支配階級と被支配階級という構造の問題があると言われます。
「沖縄の不都合な真実」(新潮新書)には次のような事情が紹介されています。
「沖縄には、自分たちの現状を変えたくないという集団が存在し、この集団には政治的保守派と革新派の双方が含まれる」
「基地には反対だが、基地の見返りである振興資金に依存する公主導・官主導の経済はこのまま続けたい」
本来、社会的弱者の味方になって権力側と対決するはずのマスコミ・学識者・労組が支配階級と一体化してしまっている、などという事実があるとしたら、エスタブリッシュメント側である翁長さんはリーダーとして本当に弱者の身になって格差社会改革に努力をしていたのだろうかと疑ってしまいます。
多くの人を悩ませる沖縄の深い闇は、少なくとも「野中さんや後藤田(正晴)さんは頭を下げてくれた。愛情があった」なんて乙女チックな感傷で済ますような問題でないのは確かでしょう。
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コメント
数年前、BSのテレビ朝日の報道番組で、前回の東京オリンピックの聖火リレーの様子の映像を流したことがありました。
日本での聖火リレーはまず、沖縄から始まりました。沖縄がまだ、連合国の占領下にあった頃です。聖火ランナーは人々の間を縫うように走っていて、その周囲は日の丸の国旗を振る人たちであふれていました。
占領下では国旗を掲げることは許されていませんでしたが、国旗を持つ人々の勢いと多さに米軍はこれを黙認しました。
聖火リレーが日本中を回った映像が流れた後、女性のアナウンサーが「沖縄でこんなに日の丸が振られていたことがあったんですねえ。驚きました」と、言っていました。
その後、様々なことがあって、今の分断が起こっているのですが、首長が分断を煽るようなことをするのは如何かと思います。
投稿: kai | 2018年8月16日 (木) 08時22分
★kaiさん
>首長が分断を煽るようなことをするのは如何かと思います。<
同意です。
翁長さんこそ真の保守だなどと絶賛する人が多いですが、分断を煽って混乱を永続させることが日本のためになるとは思えません。
中国属国の象徴である龍柱を設置したということから考えても、翁長さんは中国寄りの人ではないかと思います。
>女性のアナウンサーが「沖縄でこんなに日の丸が振られていたことがあったんですねえ。驚きました」と、言っていました。<
「慰霊の日」も、1960年代までは、英霊を顕彰追悼すると同時に、共に戦った元軍人と地元住民が再会を喜ぶ日でもあったそうです。
ところが、1970年を境に慰霊の対象が民間人犠牲者に変わり、旧軍人を批判するなど、次第に左翼的色彩を帯びるようになった、と沖縄出身のジャーナリストが書いています。
沖縄の雰囲気は左翼勢力の介入によって変質していったんですね。
投稿: robita | 2018年8月16日 (木) 10時25分
>robita様
歴史に「たられば」は禁物、とは申しますが、左翼が介入しなければ沖縄の戦後史は大きく変わっていたと思います。
ジャーナリストの惠隆之介氏は、著書『誰も書かなかった沖縄』で沖縄の教育界が「昭和三十年頃から政治運動に奔走し、児童に教壇から反日反米のイデオロギー教育を行っていた」と述べています。昭和30年といえばまだ1955年で、僅か25年で沖縄は左翼的色彩を帯びるようになったという事になります。
これ程速く沖縄が左傾化していったのは、やはりrobita様が仰有ったように沖縄自身の構造が大きいからだと思います。ただ、強いて付け加えるならば、中華主義の影響も無視出来ないと思います。
琉球王朝は、中国の属国(朝貢国)の中では朝鮮に次いで序列が2位だったようです(何か本に書いてあったと思うのですが思い出せません)。だからこそ、沖縄の支配者階級は中国の介入に抵抗が無く、共産党も工作がし易かったのではないかと思います。
駄文につきましてはどうかご容赦下さいませ。それではこれで失礼致します。
投稿: まゆゆファンMM | 2018年8月17日 (金) 15時37分
★まゆゆファンMMさん
そうです、惠隆之介氏です、沖縄出身のジャーナリストというのは。
1950年代の沖縄は、本土よりもまともだったそうで、恵氏はそのことを示す色々な事例をあげていますね。
琉球の下層階級差別については、農作物(サトウキビ)の搾取が過酷だったそうです。
NHK大河ドラマ「西郷どん」では、あたかも島津の武士が直接農民に酷い仕打ちをしたように描かれていました。
薩摩藩が琉球に重税を課したのは事実ですが、琉球の支配層は贅沢に暮らし、その分下層の農民たちが苦しんだということです。
西郷さんの奄美の妻も豊かな階層の娘だったそうですね。
投稿: robita | 2018年8月17日 (金) 23時48分