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2019年1月20日 (日)

過ぎてみれば

読売テレビ「ウェークアップ」で取り上げていましたが、昨日1月19日は、50年前に東大安田講堂を占拠した大学生と機動隊の攻防戦が終わった日だったんですね。

もう50年、ずいぶん昔のことになってしまいました。

高度経済成長のひずみが表出し始めた日本社会で、大学の権威主義、ベトナム戦争などに反対し、革命をやるんだと言って一部の大学生たちが青春のエネルギーを爆発させました。

今では70歳代後半になった、当時大学院生や助手だった人たち(たてこもり側)が語っていましたが、安田講堂に立てこもった最初の頃はジャズのコンサートなども開かれ、楽しいお祭りの場だったということです。

安田講堂の封鎖解除の後、学生運動は急速に下火になっていきましたが、活動家の生き残りの一部の若者たちは先鋭化し、日航ハイジャック事件、あさま山荘事件などを起こしました。

その少しあと、日本赤軍のリーダー重信房子のインタビューをテレビで見ました。

犯罪者集団のリーダーなのになんでインタビューされてるんだろうと不思議に思いましたが、今振り返ると昔はテレビってああいう危ういことをやっていたんですね。

インタビュアーがどんな質問をしたのか、重信が何を答えたのか全然覚えていませんが、なんかカッコつけてるな、とは思いました。

長い髪をかき上げる仕草、にこやかで落ち着き払った表情や話しぶりなどから、この人は革命家の自分に酔ってるんだなあと思ったのを覚えています。

学生運動はひとつのブームでありファッションだったという見方をされることが多いです。

前述の東大助手だった人物も「ああいうやり方では世の中を変えられないんですよね」と振り返っていました。

そんなことちょっと冷静に考えればわかることなのに、頭の良い東大の秀才たちもブームに抗えなかったということかもしれません。

実際、集会や討論会などといっても、実のある議論は行われなかったようで、アジ演説、ヤジ、怒号が渦巻くだけの発散の場所に過ぎなかったのではないでしょうか。
大学側が何を言っても返ってくるのは「ナンセーンス」という合唱、というのはよく言われていました。

今の若者の、論理を構築し言葉で相手を打ち負かそうという姿勢とは全く違っていました。

それでも、学生運動によって派生したさまざまなこと、生み出された若者文化など、すべてが無駄というわけではないというか、思いを馳せれば懐かしさでいっぱいになる熱い時代を、あの頃の若者たちは生きていたのでしょうねえ。
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