« 数値で判断するもんなんじゃないの? | トップページ | ブラインドセーリングで太平洋を渡った »

2019年4月16日 (火)

それぞれの幸せ

東大の入学式での上野千鶴子名誉教授の祝辞が話題になってます。→ https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html

上野氏は男性社会で闘い続け、きっと苦労が多かったんだろうなあと思います。

私はよく思うのですが、要するにこれは「好みの問題」でしょうねえ。

日本のような安定した民主主義国では人の生き方は自由です。女性も大切にされていると思います。

東大女子が東大生であることを隠したがるのは、別に男が「女性の価値」に理解がなく差別しているわけではなく、「頭はそんなに良くなくていいから優しくて可愛い女の子が好き」という男性が日本には多い、というだけなんじゃないでしょうか。

人の好みを「お前の好みはけしからん」などと批判することができるでしょうか。

不満ならば、男の好みを変えようとするのでなく、自分のようなタイプを好いてくれる男性を探すべきでしょう。

また、女性はなかなか出世できないとか、政治家になりにくいとか言われるけれど、それを望む女性がとても少ないということだと思います。

あまり重責を担う仕事に就きたくない、というのが日本女性の大まかな特徴(よく言われることです)だとしたら、少数の上昇志向の強い女性たちがそんな日本社会で出世するのは大変なことだと思います。

「さあみんな、もっと会社で出世しましょう。議員に立候補しましょう」なんて扇動したって、きっとほとんどの女性たちは興味がないと思うんですよね。

それを「女性が女性の足を引っ張っている」と不満に思うのはおかしいと思うのです。

だって女性たちは自分の生きたいように生きたいだけなんだと思いますから。

フェミニストの皆さんのご苦労やお怒りは理解できますが、日本古来の文化や民族性を作り変えるべく「思想教育」するわけにいかないですもんねえ。

 

どうぞよろしくお願いいたします ⇒ 
人気ブログランキング

 

関連記事:「ドラマ化された『負け犬の遠吠え』」 

 

 

 

|

« 数値で判断するもんなんじゃないの? | トップページ | ブラインドセーリングで太平洋を渡った »

コメント

>robita様

上野千鶴子氏の「祝辞」には呆れるしかありません。

先ずは今回の記事に関わる部分ですが、東大の女子学生が他大学の男子学生に退かれる理由として上野氏が主張したものは彼女の偏見でしかないと思います。

robita様の仰るように男子学生達の好みも有るでしょうし、或いは相手の女子学生が東大生だと聞いて尻込みしたのかも知れません。更に、女子学生を前にして積極的になれる男子学生がどれだけいるのかも解りません。また、事件を起こした加害者の男子学生がたまたま出身大学で人を蔑視する愚か者だっただけだった可能性も有ります。

そもそも、他大学の女子学生とて愚か者ではないでしょう。目の前の男子学生が東大生だったとしても、それ以外に魅力が無ければすぐに見限ってしまうのではないでしょうか。

以前、私は東大の男子学生と他大学の女子学生との合コンを企画した番組を見ましたが、結果は惨憺たるものでした。最初は男子学生が東大生だと知って、女子学生達は一旦は積極的になるものの、男子東大生のヘタレぶりに女子学生達は失望してしまいました。


祝辞を遡って、四年制大学進学率の差について考えてみます。これは、女性の職業の中に四年制大学を卒業しなくても働ける職業が男性に比べてやや多いのも原因の一つだと私は思います。

女性の人気が高い看護師は、今でこそ男性看護師も増えてきましたが、それでも女性が多いでしょう。そして、看護師とは、看護学校などの専門学校を卒業し、更に看護師国家試験に合格して初めて得られる資格です。

保育士も、保育士試験に合格して資格を得られるコースが有ります。勿論、大学や短大そして専門学校を卒業して保育士資格を得る場合も有りますが、この男女比も惨憺たるもので、男性保育士はわずかに1割です。現場の要望もあり、男性保育士の需要は高いようですが、供給との差が余りにも有り過ぎるのが現状です。

こういった事情をことごとく無視して、四年制大学進学率の差を「親の性差別の結果」と決め付けるのは余りにも乱暴な主張と言うしかありません。看護師や保育士など、これまで女性が圧倒的に多かった職種に多くの男性が進出すれば、その分四年制大学進学率の差は縮まると思います。


最後は恐ろしい話です。上野氏は「異文化を恐れる必要はありません」と述べました。しかし、異文化に寛容過ぎた国家が如何に無様に滅びたかは歴史が証明しています。「君主は愛されるよりも恐れられよ」とはマキアヴェリの言葉ですが、異文化を持ち込む人間を恐れ、また逆に恐れられる方がより滅亡から遠ざかる事が出来ると思います。

異文化の中に放り込まれて、誰もがたくましく生きられる程人間は強くありません。上野氏は「たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい」と述べましたが、政治が変われば知識人が皆殺しになる危険性は常に付きまとっています。他ならぬ共産主義の事です。そして、難民となって飢餓に苦しむようになれば、東大で学んだ知もほとんど役に立たないでしょう。

難民云々の部分を読み返しますと、どうも上野氏は「日本人は異文化の人間に滅ぼされて難民にでもなってしまえば良い」と思っていると思えてなりません。私の妄想であれば良いのですが。

駄文につきましてはどうかご容赦下さいませ。それではこれで失礼致します。

投稿: まゆゆファンMM | 2019年4月20日 (土) 20時34分

★まゆゆファンMMさん

仰る通り、上野さんの祝辞は突っ込みどころ満載なんですよね。

私は上野さんの言う「愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。」という一点に着目して書いたわけですけど、まゆゆファンMMさんの仰るようなことはたしかにありますよね。
医学部入試に男子を優先させることの裏にも、やむにやまれぬ事情があると聞きますし、上野さんのように単純に女性差別だと決めつけられるものではないようです。

「どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい」という部分には苦笑してしまいましたね。
この人はお花畑的世界観を学生たちに押し付けてきた人だと思うのですが。上野氏の教えに感化された学生たちが悪意に満ちた世界で逞しく生きていけるとはとても思えません。

この祝辞には、左翼の特徴である「視野狭窄」と「矛盾」がよく表れていると思います。

投稿: robita | 2019年4月21日 (日) 09時20分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 数値で判断するもんなんじゃないの? | トップページ | ブラインドセーリングで太平洋を渡った »