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2019年10月15日 (火)

日本の旗のもとに

ラグビー日本代表に具智元(グ・ジウォン)という韓国人選手がいます。

反日感情の強い韓国から来て日本チームに入ってプレーすることに複雑な思いはないのだろうか、と思いますが、本人は是非日本チームに参加したかったそうで、彼の父親も日本でのラグビー経験があり、「日本チームに入りなさい」と勧めてくれたといいます。
中学2年で日本に来たので、韓国の反日教育の影響もそれほど受けていないだろうし、長く住んで日本にすっかりなじんでいるものと思われます。

ラグビーというのは国籍主義ではないので、他国での代表歴がないことという大前提の上で、次の3つの条件のうちどれか一つでもあてはまればその国での代表資格は得られるそうです。
・出生国であること
・両親および祖父母のうち一人がその国出身
・その国に3年以上継続して居住している

日本代表選手は「日の丸」を仰ぎ「君が代」を歌って試合に臨みます。見た目も国籍も違うけれど「日本を選び日本のために戦う最高の仲間たち」(by五郎丸歩氏)なんですね。

 

このラグビーチーム構成の方式に関連して、東京国際大学教授・村井友秀氏が産経新聞「正論」に寄稿しています。

≪ラグビー日本代表は未来の日本≫ https://special.sankei.com/f/seiron/article/20191008/0001.html

≪人間を分類する方法は「人種」「国籍」「民族」の3つ。
このうち、「民族」の定義は曖昧だが、歴史的に形成された共通の運命を持っていると主観的に信じている人間の集団である。≫ ≪民族は人種や国籍によって決まるのではなく、主観的・感情的な「民族意識」によって決まるのである。≫
と村井氏は論じていて、なるほどと思いました。

国籍は日本でも、国益を損なう言動ばかりしている人たちが日本には少なからず存在しますが、民族として考えた場合、同じ方向を向いていない人たちと考えられますね。

「一民族一国家は理想の国」とするならば、ラグビーチームはそのひな型とでもいいましょうか。

そういえばもう10年以上前になりますがこんな記事を書いたことがあります。→ 「日本的」というソフトウェア 

タイトルを『「日本的」というソフトウェア』としたのですが、「日本的」を「日本の国土や風土が作り出した文化や歴史、精神性すべてを包括するもの」と規定するならば、引用先の方が指摘されるように『「日本的」というOS』のほうが適切でしょう。

日本という、ちょっと特殊で愛らしい国を好きになってくれて一緒に歩んでくれる、そういう人たちが増えていけば日本という国の存在感が増し、波及効果で世界は少しずついい感じになっていくのでは・・・・ あっ、その前に中国みたいな怪物がつぶれてくれないと無理だ。

 

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