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2020年11月25日 (水)

三島事件から50年もたったのか・・・

三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自刃して50年だそうです。

その日のことはあまり覚えていないけど、外出していて帰宅してからニュースで知りました。私22歳でした。

三島の文学を読んだこともなかったし、敗戦で日本が骨抜きにされ芯を持たぬ情けない国になり下がったなどとは考えたこともなかったので、三島の行動の意味を我が事として実感することはできませんでした。

 

2週間ほど前の週刊新潮の片山杜秀氏のエッセイに三島事件の思い出が書かれていました。

小学校一年の時に母親と入ったラーメン店のテレビに事件が映し出され、戦争映画が好きだった杜秀少年が「大変だ!」と目を瞠っているのに、店内の客たちは黙々とラーメンを食べていた、と。
そして、その一年半前の記憶として、幼稚園生の頃の4月28日の夜、都心のホテルの客室から沖縄返還・日米安保反対のデモを目撃したことが綴られます。(大人たちは食事に行き少年は一人客室でお留守番というちょっと変わったシチュエーション)

学生たちのデモ隊と機動隊が衝突、火炎瓶が燃え上がり、そのまるで戦争のような騒乱の様子を、部屋に戻ってきた大人たちに興奮して報告するも、「たいしたことじゃない。うるさい。早く寝なさい」と無理やり寝かしつけられたというのです。

そうか、たいしたことじゃないのか。火炎瓶でも三島でも世界は変わらない。今日も天下泰平だ。・・・少年はその時、大人の分別というものを身につけたそうです。

わずか5・6歳の子どもの記憶ですから多分に増幅・変形されているのでしょうが、あの頃の日本って、金もうけに忙しい大人たちの態度には多かれ少なかれそんな雰囲気はあったのかもしれませんね。

 

「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」

三島由紀夫はそう嘆きました。
今の日本を見ると、あのころに比べて確かに経済的な勢いはなくなりましたが、それも先進国としての成り行きでしょう。
日本人は目覚めつつあるし、インターネットの発達のおかげで、目覚めた証としての、防衛やプライドを重んじる精神が広く共有されるようにもなりました。

それなのに政治家だけが情けなく見えるのはなぜなんでしょうか。

中国の王毅外相が来日し、尖閣は中国のものだと長々と主張しました。茂木外務大臣はそんな中国の態度にヘラヘラしているように見えるのですが大丈夫なんでしょうか。→ https://twitter.com/FIFI_Egypt/status/1331389609549254656

「茂木はやめろ」との批判の声もありますが、茂木さんが辞めて他の人を起用したとしてもきっと何も変わらず、中国に圧されっぱなしなんだろうなあということは想像できます。

いったいどうすれば日本は乱暴で理不尽な相手に対して毅然とした態度で立ち向かえるんでしょうか。

三島さん、日本は「名を捨てて、実をとる」どころか、実まで捨てようとしているみたいです。

 

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三島由紀夫の檄文   

≪われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。<中略>
日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。<中略>
われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。≫
    全文→ https://www.sankei.com/premium/news/151122/prm1511220033-n1.html

 

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コメント

もう50年ですか…。私はくっきり覚えています。生首に夕陽?が差し込む写真が衝撃的でした。今なら写真は新聞には出せなかったでしょうね。

その当時、クラスメートの紹介でStars & Stripesという米新聞の編集長宅に週1回だったか家事手伝いに通い交換に英会話を習っていました。

三島事件に衝撃を受け、三島が切腹したのに米軍関係者のお手伝いなんかしていられないと辞めてしまいました。辞めてどうなるものでもないのに日本人としての自尊心をどこにやってしまったのだろうと。若かったです。その後ベ平連を応援するようになり、紆余曲折をたどるのですが人生色々、振り返ると面白いですねえ。

投稿: さなえ | 2020年11月27日 (金) 09時51分

★さなえさん

>辞めてどうなるものでもないのに日本人としての自尊心をどこにやってしまったのだろうと。若かったです。<

日本人としてのプライドを自覚して辞めたのは「若かった」のではなく、さなえさんの潔さだと思います。
三島も若くはなかったけれど日本の対米従属に異を唱え、反米の立場でした。
日本人は戦後ずっと「大人の分別」を身につけてなんかおらず、子どものようにただ思い込まされていただけでしょう。

生首の写真は見た記憶がありますが、事件を報じる紙面で見たのかどうかさえも覚えていません。
政治的なことに興味がなかったわけではありませんが、反米愛国方面には行かず学生運動も冷めた目で見ていました。
歴史や国際問題より、日本の過疎の問題を何とかしなきゃなんて思ってました。
年を重ねてやたら愛国の情が深くなってきてるようです(笑)

投稿: robita | 2020年11月27日 (金) 17時40分

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