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2020年12月 3日 (木)

皇統2千年の重み

<前記事より> 

私は皇室廃止論者ではありませんが、「時代の流れで皇室がなくなっても仕方がない」とは思っています。

政治的思想と関係なく国民統合の象徴としての「権威」たる皇室が国にとって非常に大きな意味があることは理解します。
世界で唯一「皇帝」と呼ばれる天皇を戴く皇室は世界中のどの王室とも性質が異なります。

2千年もの間、時の権力者に滅ぼされることなく、権威として変わらず敬われてきた天皇の血筋はまるで日本の歴史の背骨のようです。

天皇の歴史が途絶えることを考えると、権威を失った日本はいったいどうなるのかと不安になります。

しかし永遠にそれが続けられるかと言えばそれもかなり不安です。

世界の王室は日本の皇室に比べて自由度が高いので、昔から色々と問題が起きやすかったと思います。
英国では王室不要論も時おり表出するようですが、それでも王室を愛する国民の方が多いのであまり大きなうねりにはなりません。
スキャンダルも込みで愛されているのでしょう。日本の皇室とは重みが全く違うということなのかなと思います。
言い方は失礼なんですが、「その程度のもの」を存続させるのはそんなに難しいことではないのかもしれません。

翻って日本では皇統をこのまま続けるのも終わらせるのも気の遠くなるような覚悟が必要、と感じます。

国家安定の重しとなる「権威」として皇室が必要であるならば、皇族に求められるのは「威風」というものでしょう。

しかし同時に「慎ましさ」も要求されます。

天皇であるということは、実に厳しく辛い修行のようなものではないでしょうか。

皇室は特権階級ではなく、人権はなきに等しく、義務だけを負う大変な重責を担った一族であると言えます。

だからといって皇族、特に天皇家の方々の人権というものについてもっと大胆な配慮をし、他国の王家のように自由な存在に変えてしまえば、皇室の存在に疑義が生じ、結局崩壊につながるでしょう。

 

皇室を敬愛し存続を願う国民が大半を占めるとなると、簡単に廃止するわけにもいかないけれど、この旧態依然とした伝統と近代民主主義国家とがどう折り合いをつけていくか。

しかし、言論の自由もなく行動の自由も制限されている皇室の方々が現代社会においていかにお気の毒な状態であるかということも多くの人はわかっているはずです。

悩みは深いのです。

<続く>

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