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2021年11月26日 (金)

殴れ 2

愛知県弥富市の中学生刺殺事件で、加害者はいじめられていたという情報があります。

それならばなぜ殺してしまったのだろうか、と思いました。
そんなに憎いなら包丁で刺して死に至らしめるより、殺さないで他の方法で痛めつければよかった(例えば殴るとか)と思ってしまうのですが、いじめられている側からすると「それができれば刺したりしない」ということなのでしょうね。

でも殺してしまったら殺人犯になってしまうし、相手の家族のみならず自分の家族や親戚に至るまで不幸のどん底に突き落とすことになります。それは一生続きます。
その地獄を想像もできないほど精神が疲弊していたのでしょう。

でも多くの人が経験していると思うけど、「この人はなぜ私にだけ意地の悪いことを言うのだろう」と思うことは珍しいことではありません。

その相手が結構人気があって、自分だけがその性格の悪さを知っている、なんて場合は本当に腹立たしいものです。

こういうことは、集団いじめとは違うので、わりとみんなが経験していることだということを知っていれば踏みとどまれたんじゃないかなあと思うのですけどねえ。

弥富の事件の原因が深刻ないじめなのか単なる意地悪なのか、それとも加害者の勘違いなのかわかりませんが、いずれにしても殺してしまっては取り返しがつきません。

子供であってもほとんどの人間は、殺人は取り返しがつかないとわかっているから殺さないのです。

朝のワイドショーの司会をしている谷原章介氏が「今回のこの事件を見て思うのは予兆的なトラブルもなかった、殴り合いのけんかもなかった。でもいきなり一番強い刃物という手段に行く。それがどうも理解できないんです」とコメントして、ネット上で「わかってない」とか「短絡的だ」とか批判されているようです。 https://news.yahoo.co.jp/articles/e67f07640934715519e4a3b1d0c89347394f08e8

追い詰められた子供の気持ちがわからないのか、という意見もわかりますが、なぜいきなり刺すのか、という疑問もわからないではありません。

どうせ大事件になるなら、殴りつけて傷害事件で済ませれば殺人犯にはならないし、相手に怖い思いを味わわせるという目的も達成できます。

暴力は絶対に許されない世の中では殴ることはできないかもしれないけれど、言葉で論理的に言い負かすことができない未熟な子供が理不尽な意地悪をされ続けた時、「暴力はいけない」の一言で怒りをため込んでしまうことの危険性も考えなければと、こういう事件が起こるたびに思います。


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