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2022年1月21日 (金)

日本弥栄

前記事より続く> 

外国人をかくも驚かせた日本精神の美しさはいかにして育まれたのでしょうか。

地理的環境、気候風土、歴史などが国民性を育てると言われます。
気候風土がアニミズムを生み、地理的環境によってそれが神道に進化する歴史をたどる過程で日本人特有の気質が形成されたということでしょうか。

神道についてはよくわからないながらも、自然を征服するのでなく、神々が宿る自然の恵みに感謝し生活の安寧を祈ることが日本人の精神生活を支えてきたのだろうということは感じます。

日本人が古代から拠り所としてきた神々に、国家の繁栄と国民の幸福を祈る最高祭祀者が天皇です。

歴史家の宇山卓栄氏が書いています:
≪天皇や神道の存在は誰かがそれを教条主義的に強制したものではなく、日本の豊かな自然の中で、長い年月をかけて人々の心や社会に浸潤してきました。
この包容力のある大らかで力強い伝統と慣習の累積の延長上に、令和という日本の現在があります。≫
https://toyokeizai.net/articles/-/307071


何年か前のブログに「日本の祈り」と題して書いたことですが:
≪「日本会議」を過激な右翼団体と決めつけて憎悪する青木理氏が「神社本庁を筆頭とする神道という宗教団体が中心になってこの『日本会議』を運営している」、という言い方をしていました。
しかし神道というのは、「宗教の持つ偏狭性」とは対極にある考え方で、その意味では普通の宗教ではないと思います。
古代から日本人の思考や生活習慣に染み込んだ、日本人の精神と言っていいのではないでしょうか。
神道には教祖も経典もなく、狂信的な何かを生み出す素地はありません。
自然を崇拝し自然と折り合って生きてきた日本人の慎ましやかな態度は、すべてのものに神が宿るという自然信仰が育んできたものだと思います。

私も何となくの知識しかありませんが、日本人として生まれた時から、それこそ何となく身についてきた習慣や心のありようは、鎮守の森の静謐な空気に畏敬の念を抱くことと無関係ではないでしょう。≫


日本という珠玉のような存在は世界の希望なのではないかとさえ思えてきます。
そして、その希少が故の貴さは天皇の祈りなしには保持し続けることができないのではないでしょうか。

 

皇位継承について悠仁さまの後をどうするか、悠仁さまのお子様だけに望みを託すのは心許ないということで、旧宮家の皇籍復帰という案が出ています。

その方たちに皇籍復帰の意思と覚悟がおありならば検討に値する話だと思います。

戦後GHQ政策によって皇籍剥奪された時、宮内府から旧宮家の方々に対して「万が一にも皇位を継ぐべき時が来るかもしれないとの御自覚の下で身をお慎みになっていただきたい」とのお願いがあったそうです。

また、これらの方々は皇室とはずっと親しく交流されているようで、やはり俗世間とは一線を画した立場でもいらっしゃるのかな、と思います。

今の時代、皇統を継承していくのは並大抵のことではない、なくなっても仕方がない、と思う人は多いでしょう。私もそう思っていました。

でも何らかの手立てがあるならば、できるかぎり皇統継承の努力をしたほうがいいのではないかと思うようになりました。

 

こういうことって理屈ではなく、私たち日本人が祖先から受け継いだDNAが呼び起こすものなのかもしれないですね。 「かたじけなさに涙こぼるる」 

 

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