独立不羈(ふき)
<前記事より>
ツイッターなどSNSの世界では、誰でも自由に意見が言えます。
だから普段おとなしい人でもネット弁慶などと揶揄されるように、威勢の良い、乱暴な言い方をしたり、あるいはバカにしたり冷笑したりします。
そんな言い方では争いが収まらないでしょうに、といつも私は思うのです。
先日の産経新聞に、福沢諭吉が創刊した「時事新報」についての記事がありました。
明治15年に創刊されて140年だそうです。
当時、政党の機関紙だったり政府の代弁者のような新聞しかなかった中で、広告料と購読料を元手に自由精神の新聞が誕生しました。
のちに産経新聞に吸収されましたが、どこに気を遣うこともなく、独立した立場で政治や社会を論じたということです。
その「時事新報」出身で日本新聞協会初代理事長の伊藤正徳が起案した「新聞倫理綱領」の中に「報道、評論の限界」という項目があります。
ここに「人に関する批評は、その人の面前において直接語り得る限度にとどむべきである」と書かれているそうです。
これは「福翁自伝」に書かれた新聞記者の心得を借用したものだそうですが、胸に留めおくべき戒めです。
SNSが発達して誰もが政治や社会問題について自由に意見を言い、記者のように記事を書く時代です。
それはとても良いことだけれど、どこの誰だかわからない、顔も見えない環境で、多種多様な考え方の人が集まるわけですから、ヒートアップして罵り合いになることも少なくありません。
現実世界では面と向かって決して言わないような言い方を、顔が見えないとなると平気でしてしまうのですね。
さて、かなりズレたことを主張している橋下徹氏がネット民たちから攻撃されています。
元から橋下さんを嫌いだった人たちが、ここぞとばかりに言葉を極めて罵り倒し、なにやらとても楽しそうな大騒ぎ。
橋下さん自身は実際に名前も顔を出してますから卑怯ではありませんが、その橋下さんを罵る人たちは匿名だから言いたい放題。卑怯だよねえ。
多くは罵るだけで、橋下さんのどこがどう間違っているかについての説明がほとんどありません。(ツイッターでは限界があるけど)
そんなことだから争いがなくならないのよ。なんで穏やかな議論ができないの。高市さんを見習いなさい。
橋下さんと喧嘩別れした後もなおネットで攻撃し合う百田尚樹氏やジャーナリスト有本香氏の尻馬に乗って同じように罵るのでなく、独立した個人として自分の考えで、ちゃんとした言論で返すことがなんでできないかなあ、と思います。
いつまでも不毛な喧嘩してないで、誰か橋下さんをうまく制御できる人が現れればいいなと思っています。
私も橋下さんを批判する文章はたくさん書いています。
それでも彼のような言論は停滞する政治を動かすためには必要だから、潰して排除してしまうことには反対です。
自由な議論を盛り上げ、日本人を目覚めさせるために橋下さんみたいな人をうまく使わせていただくのがいいと思います。
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橋下徹批判記事:「高市さんにやってもらいたいこと」
「中国に逆らうと攻めてくるの?」
「主権在民」
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