国を守るということ
<前記事より>
橋下氏を嫌いで「テレビに出るな」「黙れ」と言い募る人たちもいれば、韓国に対しても同じように「こっち見るな」「断交しかない」と言う人たちもいます。
でも、そんな風に突き放すだけでは何も解決しません。
韓国にもわからずやばかりでなく、理性的で相手の言うことに聞く耳を持っている人が少数ながらいるように、橋下さんだって、すべての点でわからずやというわけではありません。
なかなか動かないものを殺されるかもしれない覚悟で動かしたのが大阪の改革だったと思います。橋下さんはその改革で身を切られた人に憎まれているのでしょうが、それは改革者の持つ宿命です。
今もあちこちのメディアに出て強く発信し続けているのは、日本の難点について物申したいからでしょう。こうすればもっと日本は良くなる、という気持ちで発信していると思います。
以前橋下さんを支持していた人たちも橋下さんのそういうところを支持していたのではないですか。
なぜ日本人が韓国に呆れているのか韓国の人にわかってほしいのと同様、橋下さんにも、なぜみんながあんなにバッシングしてくるのかをわかってほしいと私は思います。
今回のウクライナ問題に関しての橋下さんの主張は「国を守る」ということがどういうことか理解してないことからきているのだと思います。
橋下氏は最初の頃、ウクライナの人はとりあえず国外に逃げて、2・30年ぐらいたてばプーチンだっていなくなる、そしたら戻ってまた国の復興をすればいいと、とんでもないことを言っていました。
国がなくなるとはどういうことか。
そこに違う体制の国が入り込んで今までの伝統や国柄を破壊してしまうという事に他なりません。
第一、敵に占領された国に20年も30年も経ってたやすく戻れるなどと思っていることがおかしい。それこそ戦争でもしなければ取り戻せません。
最初にそんなことを言ってしまったものだから、糊塗するために強弁を繰り返し、だんだん引っ込みがつかなくなっているのが今の状態だと思います。
橋下さんは国という枠組みに意味を感じていない人なんでしょうね。伝統にも歴史にもあまり興味がない。母国への愛慕の気持ちも理解できないのかもしれません。
しかしそういう無機質ともいえる人というのはどこの社会にもある程度存在するものです。特に戦後左翼思想が蔓延した日本にはすごく多いと思います。
遠い未来に国境がなくなる時が来ると私は思っていますが、現在の世界にそれを当てはめることはできません。
国境があり、国益のためにそれぞれの政府は努力し、侵略を受ければ国民は力を合わせて戦うし、理不尽な侵略者に一歩も譲ることなどできないでしょう。死をも厭わず国を守る意志を馬鹿げているなどと第三者が批判することなどできません。
「命より大事なものはない」「誰も死んではならない」ということが当たり前になった今の日本で、国を守るためなら死ぬという価値観がどれだけ受け入れられるかわからないけど、少なくともその価値観は一刀両断に否定されるべきものではないと思います。
ウクライナに行って「降伏すれば命だけは助かる。降伏しなさい」と説教してみればわかることだと思います。
国家観も人生観も人それぞれ。互いに押し付け合うものではありませんが、まずは国家の安泰あっての個人であり、生存です。
ついこの間まで「プライムニュース」で櫻井よしこさんや橋本五郎さんや先崎彰容さんら賢者たちと穏やかに楽しそうに政治談議していた橋下さんを思い出すのですが、この人をこのままみんなで叩き続けて潰してしまっていいのだろうかと思います。
同時に、この橋下バッシングの光景が、日本国民の思い込みをほぐし、まともな国家観へと導くきっかけになるといいなと思います。
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