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2022年6月15日 (水)

「愛国」とはゴリゴリの保守ということではないと思う

<前記事より>

いつまでたっても良くならない日本の経済、どこが悪いのか、どう変えればいいのか、それは部分的な改善なのか、それとも政治や産業構造を大きく変える改革であるべきなのか。

おそらく、どこをどうすればいいということはわかる人にはわかっているのだと思います。

それができないのは、やはり利権とか既得権益とかのしがらみが邪魔しているからでしょう。

そういうしがらみを無理やり取り除こうとする試みには当然のことながらとてつもなく大きな反発がありますし、その指導者は抵抗勢力に悪人呼ばわりされすごく嫌われます。

私たちはそういう例をいくつも見てきました。

大改革には痛みが伴いますから、当初は応援していても痛みが長引けば国民の不満が高まってきます。
民意に従ったために結局中途半端に終わってしまったことも多々あるのではないでしょうか。

よくわかりませんが、やはりこういうことではないのでしょうか。→「時間をかければうまくいくのか」  

竹中平蔵氏が「日本は成長のチャンスを全部逃した」と本当のことを言えば怒り、「橋下徹は中国とズブズブだ。大阪維新は日本を壊そうとしている」と難癖をつけて騒いでいるのは、主に愛国心の強い保守的な人たちです。

色々な意見や利害をすり合わせ、政治的妥協を図る、というこれまでのやり方でなんとかなるならそうすればいいと思うのですが、日本ってもうそんな時期をとっくに過ぎてしまっているのではないでしょうか。

冒険が必要なら、敢えて「やってみよう」という指導者が現れないかぎり、このまま衰退の一途かもしれません。


為末さんは「この症候群から抜け出るには、未来は予測できず物事はコントロールできないという前提を受け入れ、国民全員が『やってみよう、やってみよう、やってみなけりゃわからない』を合言葉にすることだと思います。『わからない』を恐いから面白いに書き換える必要があります。」
「私たちは十分心配性ですし、十分抑制的です。あとはちょっと浅はかになって「やってみようやってみようやってみなけりゃわからない」精神で「いまここ」を生きていけば、社会は良くなっていくと思います。」
と言います。

これは今の日本人に対するとても良い忠告だと思います。


為末さんのツイートには「何かあったらどうするのかを想定できなければ安全管理の点で問題がある」という返信があったそうです。

たしかに個々の分野では、どういうことが起きうるのかを想定して安全管理をしっかり行うことは必要だと思います。
けれども、今の日本が危機的状況で何もしなければ衰退あるのみ、であるならば、それは安全管理の問題ではなく、国の行く末の問題と言わなければなりません。

日本人、少し慎重さを緩めていっそのことお調子に乗っちゃうことが必要なのかもしれませんね。

元々日本人って楽観的で好奇心旺盛で冒険好きだったんじゃないかなあ。

太古の昔、大陸のほうから追いやられて仕方なくどん詰まりの極東まで来てしまったのか、それとも東に行けば何か良いことがあるかもしれないという好奇心で進んできたのかわかりませんけど、そこにあったのは、怖がってばかりいないでやってみようという冒険心だったのではないでしょうか。

何かあっても大丈夫、なんとかなる。 「祖国の危急存亡の時」 

 

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