だって脳がそう認識するのだから
私たちが小説を読んだり映画やTVドラマを見たりする時、ハラハラドキドキワクワクしてしまうのは、あたかもそれが現実に起こっているかのように思えるからであって、物語の中の人物を憎んだり、悲劇に涙を流したり、時にはヒーローに恋心を抱いてしまうことだってあります。
これほど人の心を動かすのですから、頭の中で思い描くことはその人にとってはある意味「現実」とも言えます。
仏教用語で阿頼耶識(あらやしき)というものがあります。それは「宇宙万有の展開の根源とされる心の主体」と説明されますが、「この世のことはすべて幻想である」という意味だ・・・と何かで読みました。
この世界は人間の幻想で成り立っている、という考え方ですね。
私は難しい説明文を読むのが嫌いなので、あくまでも感覚的にとらえるだけですが、これは最先端科学である量子力学と通じるものではないかと感じました。
実際検索してみると、「阿頼耶識と量子力学は同じ事を言っている」という項目があります。
そのyoutube映像を見てみると、悪いけどとても退屈。我慢して最後まで見てみましたが、「平和の実現のために仲良くしよう」みたいな話になってました。
宇宙の存在意義として究極的にはそういうことになるのかもしれないけど、その前に、そんな道徳的なことじゃなくて「人間の意識がこの世を作っている」ということを分かりやすく説明してほしいんだよね。
人間にわかるように説明するなんてたぶん誰にもできないと思うけど。→「cosmos」
漫画家諸星大二郎の作品でこういうのがありました。
近未来、社会は退廃し、現実逃避したい人々のためのある施設が作られています。
そこでは人は横たわって装置につながれ、希望通りの世界で幸福感に満ちた生活をまるで現実のように死ぬまで体験できるのです。
自分の脳はそれをリアルな体験として認識しますから、外の世界がどうであろうと自分にとってはそれはまぎれもなく現実です。
こうなると、「現実」とはいったい何なのか、ということになってきます。
「この世は人の幻想でできている」という仮説は真実なのでしょうか。「『意識』はどこへ行くのか」
しかし、ここまで人の意識をコントロールするのは破滅を招く危険な領域に踏み込むということになるのかもしれません。
ただ、その脳への意図的な介入が快楽だけのものでなければちょっとだけ体験してみたいという気はします。
デジタル技術の発展は目ざましく、日常生活はどんどん便利になり、娯楽の面でも、面白そうなものが次々と開発されます。
メタバースとやらに興味があるのですが、自分の分身(アバター)を仮想空間内で行動させるということのようです。
これでもまあ、自分自身がその空間に存在するような気になるのかもしれませんが、実際に生身の自分がその場で生きているという実感には程遠いのではないかと思います。
私は日本の過去に飛んで、その時代を体感するような経験をしてみたいと思うのです。時間旅行と同じような感覚で体験できるタイプのメタバースっていつかできるんじゃないでしょうか。映画「アバター」はそうでしたよね。
幕末や戦前の日本などは近過去ですから、現実により近い仮想空間として構築しやすいのではないでしょうか。
三宅坂、桜田門、九段坂、日本橋、八丁堀あたりを侍の姿で歩いてみたいなあ。
それから郊外に出て、渋谷とか目黒・・・とは言ってもそこらあたりはただの農村地帯で今と比べようもなく、面白くもなんともないでしょうね。
やっぱり多少なりとも今に面影を残しているであろう江戸城周辺の街並みに惹かれます。
ちょっと足を延ばして品川宿などにも立ち寄ってみたい。
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