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2023年9月27日 (水)

記憶の継承

作家の五木寛之さんが週刊新潮にエッセイの連載をしていて、先週号は「相続」の話でした。
その中で「モノではない相続」として、「一番大事な相続は親の昔話ではないか」と書いています。

≪両親とも早く逝ったために、私は彼と彼女の思い出話を、まったく聞く機会を失ってしまった。
相続すべきものは、いまはない。
とにかく親の昔話をできるだけ多く聞くことである。それこそが本当の相続なのではあるまいか≫

それは大事なことだと私も常々思っています。

自分の知らない時代を生きた親が何を思い、どのように行動したのかを知ることは即ち家族の歴史を知ることであり、細かいエピソードの数々はその時代の世相・雰囲気を知るうえでの貴重な情報です。

身近な人から生の情報を聞くというのは、書物や伝聞とはまた違った真実味があるのではないでしょうか。

 

私も母から江戸時代の話を聞いたことがあります。→「大河の岸辺」 

むろん母が直接体験したことではないにしろ、江戸時代を生きた人の目撃談を身内から聞けるってなかなか面白いものです。

 

もっとも知りたいことの一つに、先の戦争前後の日本の社会状況があります。→「戦時中の庶民の暮らし」

戦争に関することは、戦後刷り込まれたことを戦前戦中の記憶として無意識に書き換えてしまっているケースが多いそうなので、そういう影響をあまり受けてない人となると、(影響を受けやすいかどうかは年齢はあまり関係ないでしょうが)最低限100歳以上になりますか。かなり厳しい。


昭和は遠くなりました。

 

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コメント

一時期、老人介護の仕事をしていたので、老人から話を聞くことがよくありました。
90歳以上位の方たちですと、ポリティカルコレクトネスなど気にせず、案外それが本音だろう、ということも話します。
もちろん、少し分からなくなっていことも、記憶違いもあるでしょう。でも、掃除や洗濯をしている私に話しかける気持ちがある、ということは、良いことだと思って、相づちをうちながら聞いていました。
高齢者はもっと昔の話をしたいのかもしれません。

投稿: kai | 2023年9月28日 (木) 07時44分

★kaiさん
 >高齢者はもっと昔の話をしたいのかもしれません。

高齢者の昔話をうるさがる若い人も多いと思いますが、相づちを打ちながら聞いてくれる優しいkaiさんの態度はお年寄りの方も嬉しかったでしょうね。
私は両親が時たま何かの話から昔話をするのをなんとなく聞いていただけですが、もっと積極的にいろいろなことを聞いておけば・・・なんて後からこんなことを言っても始まりませんが。
戦争の時に充分大人の年齢になっていた人の話はある程度信用できるでしょうね。

投稿: robita | 2023年9月28日 (木) 09時21分

歴史は勝者によって作れると言いますが、GHQによる戦後教育が大きく影響しています。そういう教育を受けた者たちが、文部省、日教組を牛耳っている現状ですから、安倍さんが言ってた戦後レジュームからの脱却なんて無理でしょうね。
ビーチ前川なんて言うのが文部・文科官僚だったんですから何をか云わんやです。早急に文部省、日教組改革が求められます。

投稿: 十七匹橋 | 2023年9月28日 (木) 11時05分

お久しぶりです。

ごもっともな事です。
若い頃、熟年期は自分の事でいっぱいでしたものね。
この歳になって、もっと両親の昔話を聞いとくべきだったと後悔しています。
先日、連れ合いと話してたところでした。

投稿: あられ | 2023年9月28日 (木) 11時34分

★十七匹橋さん

戦前戦中に生きた人の生の話を最も聞きたかったと思う理由は、こんなに近い過去であるにもかかわらず、意図的に作られた虚偽がこの時代に限り非常に多く、その虚偽の歴史が定着してしまってなかなか改められないからです。
仰る通り日本弱体化を図ったGHQの戦後教育と日本の国体を変えたい左翼の活動が原因ですね。

>ビーチ前川なんて言うのが文部・文科官僚だったんですから何をか云わんやです<

こういう人が簡単に事務次官になれてしまう政府の中には、同類が普通にたくさんいるんでしょうね。
改革しなければといっても、左翼が政府中枢に巣食っているこの状態を何とも思わない人のほうが多いでしょうから、これは難しいです。

投稿: robita | 2023年9月28日 (木) 13時30分

★あられさん

お久しぶりです。

>もっと両親の昔話を聞いとくべきだったと後悔しています<


若い時は親の昔話が大事な遺産だなんて誰も思わないですよね。
それに子供の時ならともかく、大人になって離れて暮らすようになると、会う機会さえ少なくなりますよね。
たまに会った時に意気込んで昔話をしよう!というのもなんか変ですし。
でも、今はこうやって一般の人がSNSで家庭のことから世界情勢までいろいろ書けますから、かつての日本のように国全体が洗脳されるというようなこともないでしょうね。

投稿: robita | 2023年9月28日 (木) 13時39分

私の母方の曾祖母は「慶応」すなわち江戸時代の生まれでした。
いつも縁側でせ日向ぼっこしており 声をかけると
「〇〇か?」「△△か?」とひ孫の名を当たる!まで言うのが常でした。
名前が当たったところで懐から飴玉をとりだし「ほれ!」と。
「江戸時代の人」と直に接したことは私のひそかな自慢でした。

仏壇には明治の頃の兵隊さんの写真がありました。
「金鵄勲章」と記された小さな黒塗の箱に納められた勲章は
たぶん日清・日露の戦争で亡くなったわが一族の一人だと思います。
祖父母から聴くことがなかったのは残念ですが、
小さな村に 一度にたくさんの葬式があったとは聞かされていました。

父は志願の見習士官、いわゆるポツダム少尉で除隊となりました。
私が幼かった頃 父が「隊長」と呼ぶ方が訪ねて来られ一泊されました。
どういう経緯で訪ねてこられたかは聞いていません。
戦中のまま!生きている上下関係に触れた貴重な思い出ではあります。
父は戦争の話は殆どしませんでしたが、満州(奉天)の学生時代について少し…。
貧しくて進学をあきらめていた時「満州国立大学なら学費免除」ときき進学、
奉天工業大学(応用化学科)時代が 父の数少ない「青春時代」だったようです。

叔父(父の弟)は徴兵され戦地に送られましたが、生きて帰りました。
祖母は「幽霊が帰ってきた」と思うほど 栄養失調で痩せ衰えていた由。
国鉄に技師として勤め、工場の職制となりましたが、
“マルセイ” の頃に団体交渉に引き出され、連日の交渉で心身を病みました。
四十代で退職し、国鉄の職の斡旋を辞退、缶詰工場の工員となりました。
絵が趣味で市展でよく入選し、その一点を叔父に貰い家に架けています。
亡くなったのは元旦の病院…スケッチブックに「みなさんありがとう」と。

投稿: デ某 | 2023年9月28日 (木) 18時48分

★デ某さん
はじめまして。コメントありがとうございます。

>「江戸時代の人」と直に接したことは私のひそかな自慢でした。<

子供の頃、きょうだいで「江戸時代に生まれてまだ生きてる人いるのかしら」「ぜったい生きてるわけない」などという話をしたことがあるのですが、江戸時代生まれのひいおばあ様の様子を覚えていらっしゃるんですね。
考えてみればあの頃でも90歳100歳まで生きた人はいたでしょうから、そのひ孫となる我々の世代と同時期に生きていてもおかしくない・・・と思いました。

>父は戦争の話は殆どしませんでしたが<

そうですね。ほとんどの人がそのようですね。
戦地から帰ってきて日本社会の空気がすっかり変わっており、戦場の実態や戦争の評価云々について語るのも憚られたという話もよく聞きます。
でも戦争以外のことだったら、私たちの親や祖父母はけっこう昔の話を聞かせてくれていたんだなと思います。
私たちも子供や孫に昔話を残していきたいものです。
テレビ番組などで昭和の時代の社会状況などを特集することがありますが、ずいぶんバイアスかかってるなあとか、違う、そうじゃない、と思うことってありませんか。若い世代が制作してるからでしょうか。実際に経験した人の生の声って大事ですよね。

投稿: robita | 2023年9月29日 (金) 09時11分

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