もとの濁りの田沼恋しき
江戸中期の幕府老中田沼意次は賄賂政治家という悪名を着せられた人物ですが、実は先進的な経済政策を打ち出した有能な政治家であった、という見方が広まったのは1970年代以降だそうです。
山本周五郎「栄花物語」に登場する田沼意次は、国の将来を見据えて幕政改革に全力を傾けるも幕府内の敵対勢力や世論に押しつぶされるように失脚した悲劇の人として描かれています。
「栄花物語」は昭和28年に刊行されたそうですから、小説家の山本周五郎は早くから田沼意次の真実に目をつけていたということになります。
文庫版の巻末に作家の沖方丁氏の「山本周五郎と私」というエッセイが掲載されています。
その中に次のような記述がありました。
≪本作を読んで田沼に同情しない人はいないだろう。そのくせ、現代の政治家や官僚に対しては、当時の世人が田沼にしたようにする。
政治経済という奇怪きわまりないしろものは、不可解であるということ自体がストレスになる。自分の生活を左右するにもかかわらず、よくわからない。わからないことに腹が立つ。だから、わかりやすく批判できる人物がいると安心する。わからない鬱憤をぶつけることができるからである。≫
現代にいたるまで田沼意次の実像が知られることなく強欲な金権政治家という烙印を押されたままだったのは、いったん悪評が広まると容易なことでは覆せないということを表しています。
幕府内の抵抗勢力や、あることないこと面白おかしく描く「戯作」といわれるような通俗本(今でいう週刊誌のようなものか)が有能な政治家を潰してしまい、時代を越えてその悪評は受け継がれていきました。
現代でも同様のことが起こりますが、様々なメディアが発達した今の時代なら速やかに異論反論が寄せられて訂正され真実が明らかになりそうなものなのに、大衆は悪い噂の方を信じたがるものなのでしょうか、悪評は容易に払拭されません。
気の毒な田沼意次は生まれ変わればきっと幸せな人生を送ることだろうし、よくわからないまま風評に乗ってはしゃぎまわるお調子者は来世でもやっぱり雑魚としてしかふるまえないのだろうと思います。
そうとでも思わないとやりきれない。
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