身ヲ修ム
産経新聞「正論」≪没後30年福田恒存の乃木大将観≫(文芸評論家 新保祐司)で、次のような記述に目が留まりました。
<内村鑑三は、『代表的日本人』として、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人の5人をとりあげたが、西郷から後の近代で「代表的日本人」を選ぶとしたら、私はまず乃木希典に指を屈する。乃木大将は、「旅順攻略戦」やその殉死によって、敗戦までの日本の国民にとって武士道という日本人の生き方の真髄を体現した古武士ともいうべき人だったからである。>
「代表的日本人」って何でしょうね。
日本人にはこういう人が多い、ということなのか、質の差はあれ、日本人は全体的にそれらの人々に代表される特性を持っているということなのでしょうか。
これらの偉人についてよく知りませんが、たぶん、私心がなく、慈悲心があり、国全体のこと、つまり人々の幸せを第一に考え、そのためには命をも惜しまなかった人たちなんだろうと思います。
彼らのように生きる日本人がそんなにいるとは思いませんが、少なくとも、戦前の日本ではきっとそういった偉人たちを通して修身の教育が行われていたのだろうと思います。人はこうあれ、日本人はこうあれ、と教えたのだと思います。
子供たちに身を律することの大切さを教えたでしょうし、あれほどの大物になれなくても、尊敬の対象として胸に刻まれたと思います。
戦後になると、私心を抑えることは悪いことで国民は「国のために生きるわけじゃない」という考え方を持つようになり、修身は悪い教育とされてしまったので、子供たちが目指すべき日本人像は消えてしまいました。
よく知らないのですが、外国には「代表的〇〇人」みたいな考え方はあるのでしょうか。
各国に偉人はいるけど「代表的〇〇人」と呼ばれるような人はいるのでしょうか。知識がないのでそういうの全然思い浮かびません。
アメリカは、リンカーン?エジソン?キング牧師?・・・代表的アメリカ人でもないような。
イギリスは、チャーチル?ニュートン?ネルソン提督?・・・
うーん、みなさん凄腕の偉人ではあるけれど、〇〇人としてお手本にすべき、というのとちょっと違いますよねえ。
成し遂げた偉業が賞賛されるのと、人物そのものの気高さに尊敬の念をもって日本人の指標とする、の違いなのかな、よくわかりませんけど。
日本の江戸時代や戦前の教育では、ただ知識を与えるのでなく、立派な人間を育てるということ、つまり道徳教育が重視されていたと思います。
今の時代、「政治家の質が落ちた。国益より私欲優先なのか」とか言われます。政治家に限らず、どの分野でも人材の劣化を人々は嘆きます。
日本人の質が落ちたのが事実なら、まさにその「代表的日本人」を育てる教育をやめてしまったのも原因のひとつではないでしょうか。
18年ぶりに昨夜から始まったNHK「新・プロジェクトX」では、東京スカイツリー建設に携わった無名の誇らしい日本人たちの姿を見て頭が下がりましたけど・・・
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