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2024年4月27日 (土)

人生を決める何か

もう87歳になる画家の横尾忠則氏が週刊新潮にエッセイを連載しています。

ちょっと前にこういうのがありました。

≪子供のころから僕はあれがしたい、これがしたい、あれがほしい、これがほしいというような欲求があまりなかった。
受動的な生き方がいつの間にか形成されていった。≫

≪何かが不足しても、きっと誰かが与えてくれる。
何の根拠もないのに、すべてうまくいくという不思議な予感があった。≫

≪自分の意志はないのか? と聞かれれば答えは「ハイ、そうです」≫

≪野望も野心もなく、日常生活において絶対こうでなくてはならないというのは滅多にない。

≪優柔不断でめんどくさがり屋というのは、生まれる前の宿命が決めたプログラミングだったのかもしれない。
人間は結局そのプログラミングに従った生き方しかできないのではないか。≫

 

これはまるで私だと思いました。

昔から自己主張がなく、受動的で、生活のほとんどのことはなるようになっていたので、流されるままにぼんやりしていただけの子供でした。

それでも幸せに生きてこられたのは親をはじめ、周りが動いてくれたからでしょう。

 

そんな私でもある程度の年になると自分の意志でいろいろと「冒険」をしてはみるのですが、それらが何か転機になったということは全くなく、まるであらかじめ敷かれていたかのようなレールにいつも引き戻されるような人生でした。

横尾さんの言うように、人の一生はプログラミングされていて運命は決まっているのかもしれないと思ってしまいます。

 

ところがですね、そんな「どうでもいい体質」の私でも、日本という国のこととなると俄然、譲れない主張をするんですね。

我欲は希薄なのに自分の住む国の利益を守る事には熱心、といった質(タチ)の人はこの世の中そんなに珍しくないと思います。

そういう人は国の未来、つまり子孫の存続に強い思いを持っていて、そういう人がある程度の割合で存在することが国の滅亡を防いでいるのかもしれません。

そういう人たちの中で頭脳明晰な人や行動力のある人が国の仕事に携わるようになってるんでしょうね。政治家などは必ずしもそうでないかもしれませんが。

 

芸術家の横尾さんは「こと創造の域に関与してくると俄然、自我を発揮するが、それ以外のところでは優柔不断というかどうでもいい曖昧な態度になる」と言います。

何に対して自我を発揮するのか人それぞれだと思いますが、何でもかんでも自我を通そうとするような人があまり多くなるのは全体にとって良くないことでしょうね。

多くならないように誰かが人それぞれの役割をプログラミングしてたりして😃

 

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