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2024年8月29日 (木)

滅びないもん

ユニクロの柳井正社長「移民を受け入れなければ日本は滅びる」

「日本の場合、残念ながらこの30年間成長していなくて、『日本一国主義でいいんだ』という、すごくそういう感覚があるんですけど、でも世界の中の日本にならないといけないので」
「日本は日本人だけでこれからやっていけないでしょう。少数の若い人で大多数の老人をどうやって面倒見るんですか」  


これに対し、同じ実業家の前澤友作氏がXに投稿。https://x.com/yousuck2020/status/1827985139496096098

≪「日本人は滅びる」とユニクロの柳井社長が言っています。移民を受け入れ、知的労働者を増やし、少数精鋭で働けとも言っています。みなさんはどう思いますか?
僕はなんだか逆のように感じます。日本らしさ日本人らしさが今後の国力の鍵になる気がしていて、それを薄めてしまうような、グローバリズムに迎合して自らその渦に飲み込まれてしまうような考え方には違和感があります。薄めるのではなく、日本は日本人らしさを活かして連帯してもっともっと濃い国になっていくべきかと思いました。生意気言ってすみません。≫

 

前澤さんの意見は好感が持てるし、多くの人が賛同しています。

一方、柳井さんの懸念もわかる。外国人に来てもらわなければ労働力が足りないのは事実です。そして時間もない。

両者とも間違ってはいないけれど相反する考え方なのです。

この問題を解決するために二つのことが考えられます。
いずれも、移民を入れないため、という前提のもとですし、待ったなしという状況を考慮しなければ、の話ですが。

一つは、敬遠されがちだけれど人間の生活のために欠くことのできない職業に就いている人ほど高い報酬を得られるようにする。
なくてもそんなに困らない職業の人が往々にして高収入を得ているのは理不尽である、という論もあります。

もう一つは、どこの国も研究・開発を進めていると思いますが、AIロボットの活用。

AIの能力はやはり限界があって人間にはかなわない点もある、とも言われますが、それも改善されていくのではないでしょうか。希望はあります。

 

業田良家(「機械仕掛けの愛」)や村上たかし(「ピノ」)の漫画に描かれるような、人間が嫌がる仕事を文句も言わず引き受けてくれる、そのいじらしさに抱きしめたくなるようなロボットが実現するかも、と想像するのは楽しい。

未来には、思いもよらない人類の新しい世界が広がっているかもしれません。「愛しのrobot」

 

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2024年8月28日 (水)

手法が悪いのか、改革そのものが嫌われるのか

兵庫県の斎藤知事のパワハラや業者から提供された物産品の独り占めなどが問題になっていて、知事はやめる気がないし、知事の問題言動は次から次へと出てくるし、一向に収束しません。

ニュースキャスターの辛坊治郎氏がこんなことを言っていました。
「兵庫県の前政権が20年・5期。そのトップがいるということで役所ができ上がっていますから、多分『若造のトップがきやがって』という、すごい職員の反発がベースにあるんで」https://sn-jp.com/archives/172983


元東京都知事の舛添要一氏は:
「おねだりと言うけど、知事が生産品をほめて『ぜひ食べてみたい』とか『使ってみたい』などと言うのは何もおかしなことではない。私の時もそういうことはよくあった」


一か月ほど前の週刊新潮には斎藤知事の中学高校時代の同級生たちの証言が載っていましたが、「頭が良くていい奴」「彼のパワハラ的な言動なんて見たことも聞いたこともない」などというものでした。ことさら悪く書きたがる週刊誌でもこうです。https://news.yahoo.co.jp/articles/6f5ba8667315d01d06c2df13b2000d47e963610f?page=2

パワハラやおねだりについての兵庫県職員アンケートでは「・・・ということがあったと聞いた」という側聞が多く、一部の反知事勢力が意図的に広めているのではないか、という気もします。https://www3.nhk.or.jp/lnews/kobe/20240823/2020026133.html

知事も最初に受けた空気感から「舐められてたまるか」という思いでもあったのか、高圧的に出てしまったかもしれないし、互いの相乗作用でエスカレートしていったとも考えられます。

新しくやってきた改革派の長と役人との軋轢は日本全国今までもよくありました。

特に維新の会は利権構造を守ろうとする側からは蛇蝎のごとく嫌われています。

 

何が事実なのかはわかりません。「いい奴」だった斎藤氏は政治をやるようになって豹変したのかもしれませんし、職員がパワハラに脅えているのは本当のことかもしれません。

でも、テレビなどで面白おかしく報じられることだけが真実ではないかもしれない、という警戒心はいつでも持っていた方がいいと思います。


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2024年8月23日 (金)

男女関係の原理

<前記事より>

同じくNHKドラマで桐野夏生原作の「燕は戻ってこない」。これはなかなか興味深い作品でした。
北海道の小さな町で生まれ育った29歳の女性が主人公。
狭いコミュニティの中での息苦しさから逃れ、自由を求めて東京に出て職に就くも生活は苦しい。

上京する前に、未婚の叔母が主人公にこんなことを語っていました。

「自由になる方法を教えてあげようか・・・結婚すればいいんだよ。見せかけでもいいから世間の一員になれば、干渉されることもなくなる」

世間の人々の暮らしと同じような「普通の状態」の中に埋没することで自由になれる・・・。

現代女性は、自立と自由、そして個性の確立がより価値ある事だと信じ、結婚よりそれらを優先して追い求めるようになったものの、その結果、本当の「自由」は手に入ったのでしょうか。解放的で気ままなふるまいは増えたけれど、それって「自由」ということなんでしょうか。

自分を埋没させ社会の歯車の一つになることが結局最も楽で自由で、安定と幸せをもたらしてくれるのかもしれません。それだって自己実現の一つだと思います。

事柄にもよりますが、自分が我慢・・・とまでいかなくても少し譲歩すれば丸く収まるならば、その方がずっと平和だし気持ちも楽だと感じる人は多いと思います。

一方「虎に翼」の寅子のように、既に高い社会的地位を確立した女性にとって苗字を変えるのは仕事上不利益を被ることもあると言われます。

今の時代、能力の高い女性が社会で活躍するのは珍しいことではないので、「なんで男性じゃなく女性のほうが苗字を変える前提なの?」という疑問が出てくるのも当然です。

でもあえて言えば、男女関係の存続を考える時「女性が一歩引く」という行動には意味があるんじゃないかと思えてくるんですよね。
さいとうたかお先生もこう仰ってました。→ 「家庭をプロデュースする」 

男を立てて、良い気持ちにさせて、便利に使えばいい、なんて今では通用しない笑い話だとは思います。
でも近ごろの男女間の軋轢やどうにも止まらない少子化を見ていると、案外その古臭い考え方が人類の存続・繁栄にとって有効なんだろうなとも思います。
まあ、もう昔には戻れないから無理ですけどね💦

それにしても、今朝の「虎に翼」、寅子の再婚に際して法律学校の同期生たちが、現在の夫婦別姓推進派の主張をそのまま祝福の言葉にして盛り上がっていたのには驚きました。
ドラマを左翼プロパガンダに利用しているのは誰なんです?
気分悪いけど来週も見てやるからな。

 

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2024年8月22日 (木)

自分は自分 唯一無二の自分

LGBT・夫婦別姓・同性婚などの賛否が分かれる問題を、今の時代の感覚で盛り込んで左翼プロパガンダに勤しむNHK朝ドラ「虎に翼」の話です。

共産党などはこの番組を絶賛しているようだし、視聴率も上々ということは、プロパガンダが成功しているということなのでしょうか。(なんだこれと思いながら見ている人も多いとは思いますが)
昭和30年代初頭という時代をあのように描くことには疑問を感じざるを得ませんが、視聴者も現代の感覚で観ているんでしょうね。

それはまあいいとして、主人公の裁判官寅子が再婚するにあたり、苗字を変えたくないということで、あーでもないこーでもないと周りの人々と散々理屈をこね合った挙句、事実婚という形に収まるわけですが、彼女の言い分がどうも私には理解できない。

「苗字が変わってしまう(夫の姓になる)と、今までの自分がなかったことのようになってしまう」と言うんですね。

苗字が変わるとそれまでの「自分」は消されてしまう、それが辛いと、・・・・・それって「自分を持ってない」ということじゃないの?

名前が変わろうが何だろうが自分は自分なんだよ。もっと自信を持ちなさい。

結婚して子供を産んで母親になると、「〇〇ちゃんのママとか呼ばれるのが、一人の人間として認められてないみたいで辛い」などと言う女性がよくいますが、呼ばれ方がどうであろうと、自分をちゃんと持ってればそんなこと気にならないんじゃないかと思いますけどね。

人間の個性というのは、呼称ごときで現れたり消えたりするものではないと思いますが、まあこれは、人それぞれの考えなんでしょう。それこそ個性だ。

 

寅子は上司に「なぜそんなくだらないことにこだわるんだ」と言われ、敢然と反論します。「人には、どうしてもこだわりたいものがあるんです! 桂場さん(上司)にだってこだわりたいことがあるでしょう?『裁判官の資質』とか『司法の独立』とか『あんこの味』!」

あんこの味はともかく、裁判官の資質や司法の独立の重要性は個人のこだわりじゃないでしょうに。

でも上司は、自分が間違っていた、と認めるんです。ああくだらない。

  <続く>

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2024年8月13日 (火)

今年も反省の季節がきた

戦争の記憶を風化させてはいけない、戦争の悲惨さを語り継がねばならない、夏になるとその声が一段と大きくなります。

来年は戦後80年。

これから先100年経っても「戦争は悲惨だ」「戦争はしてはいけない」等々、言うまでもない当たり前のことを言い続け、夏になれば恒例行事としての「戦争特集」をやっているのかなあ。

 

先日ラジオつけていてちょっと小耳にはさんだ芸人玉袋筋太郎さんの言葉が耳に残りました。
「いろんな考えがあるからね。いつまでも語り継がなきゃならないと言う人もいるし、もう語り継がなくてもいいと言う人もいる。俺の婆さんなんか『語り継がなくていい、もう終わったことなんだから思い出したくもない』ってずっと言ってたね」

「思い出したくもない」、この言葉が最も簡潔に戦争の悲惨さを表しているのかもしれません。

実際に戦時下に生きていた人の個々の体験談が重要なのは言うまでもないけれど、ただ「苦しかった、辛かった」に終始するだけでは、戦争回避のためにはあまり役に立っていないと思います。
それに、戦争の悲惨さの証言・映像などは膨大な量の記録が残されているのでこれ以上の口伝が必要なのかなとも思います。

戦争でなくてもこの世には死んでしまいたいほど辛いことや苦しいことなんてあふれ返っているのだから、悲惨だといって「だから戦争反対」って叫んでも説得力がないんですよね。

大事なことは、政治家たちや軍部がその時どのように考え動いていたのか、誰の考えや行動がきっかけで戦争に突入したのか、どこが分かれ目だったのか、戦争は仕方がなかったのか、国民はしっかり考えていたのか、新聞報道等の煽りに乗せられず戦争回避を切望していたのか、そういった検証じゃないでしょうか。
もちろんそれらについての研究はたくさんあるでしょうが、今の多くの一般国民は当時の事情をあまり熱心に知ろうとせず「戦争は悲惨だから反対」と言うだけだったり、「軍の暴走を無力な政府が止めることができず、そのせいで国民が酷い目に遭った」程度の理解しかしていません。

でも本当の反省は、なぜ戦争になってしまったのか、なぜ立ち止まることができなかったのかを詳しく知ることから始まると思います。

それにもっと大事なことは多くの国民が信じ込まされた「日本悪玉論」の一掃と、国防の備えです。

なにしろ80年ものあいだ、日本人は「日本は悪いことをした」「戦争は残酷だからやってはいけない」そればかりを言い続け、本当に大事なことをないがしろにしてきたのだから。

 

16年前に産経新聞に載った慶応大学教授(当時)阿川尚之氏の「正論」≪終戦は日本の「選択」だった≫にはこんな一節がありました。→「63年経った」

≪戦争に負けて真っ先にすべきは、敗戦の原因を徹底的に分析し、責任者を処分し、次の戦争には決して負けない備えをすることである。
それをしないで、本当は負けていない、悪いのはアメリカだ、自分たちは犠牲者に過ぎないなどと、60年間ぶつぶつ言い続けるのは、潔くないし、何の役にも立たない。
負けは負けと率直に認め、そのうえで最善の策を取らねばならない≫

 

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2024年8月 9日 (金)

記憶を記録

NHK朝ドラ「虎に翼」で「女子高生が・・・」というセリフが聞こえてきて、「え?」と思いました。
70歳以上の人は違和感を感じたんじゃないでしょうか。

私が中学生の頃まで、女子の中学生・高校生は「女学生」と言っていたと思います。

書面などでは男子高校生、女子高校生と、ちょっと堅めに表現していましたが、女子はまだ戦前の「女学生」という呼称が残っていました。
あのドラマの昭和20年代ならなおさら話し言葉では「女学生」が一般的だったと思います。

「女子高校生」でも「女子高生」でもそんなに変わらないから何もそんなにこだわらなくても、と思われるかもしれませんが、昭和20年代を描くドラマの中で「ジョシコーセー」などという響きはどうにも座りが悪い。

もう一つ、判事の役をやっている岡田将生の髪型が現代風すぎてあの頃の中年男性としてあり得ないのも気になります。

細かいと言えば細かいですし、テレビドラマだからそれぐらい無視してもいいといえばそうなのかもしれないけれど、時代考証に70代80代の人を起用すれば、もう少しリアリティが増すのになぁ、なんて思いました。

高齢者でも若い頃の社会の様子をすっかり忘れちゃってる人も多いでしょうが、しっかり覚えていて「そうじゃない」とツッコミを入れてる人もいると思います。

団塊世代がいなくなると、時代の表現はもっともっと変質していくんでしょうね。

向田邦子さんがいたら叱ってくれそう。

 

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2024年8月 7日 (水)

反省と自虐の区別がつかない日本人

生物学者池田清彦氏の何年か前のXpostがまた流れてきました。https://x.com/IkedaKiyohiko/status/1060850310195765248

≪特攻は犬死にに決まっています。
ゴミの役にも立たなかった。
特攻隊員だけでなく、15年戦争の全ての戦死者は犬死にです。国のためという言葉に騙されて死んだ人は全て犬死にだよ。貴方の命が一番大事。国家は道具に過ぎません。≫

 

第二次大戦後、祖国の存続のために力を合わせて戦うことは愚かなこと、という思想が日本で蔓延るようになりました。
80年も昔に私心を捨てて国のために勇敢に戦った人たちを、今の価値観でもって言揚げし得意げに貶めるこういう人が未だに少なくありません。

戦争が起こる理由は色々あると思います。

誰もそんなものやりたくないけれど、侵略に対して迎え撃つとか、名誉を守るためとか、国が生き延びるため苦渋の決断で参戦するということもあるでしょう。

戦争は辛く苦しく悲しいものです。作戦通りに行かないことや読みの甘さからの失敗も起こるでしょうし、たくさんの人が無念のうちに死にます。

しかし人類の歴史は戦争の歴史であることを考えれば、現代の私たちがその史実を断罪することに何の意味があるんでしょう。

日本の平和主義者は、日本が負けた直近の戦争だけを憎しみを込めて批判しますが、それまでも戦争というものは数限りなくあったんですよ。

 

第二次世界大戦後、戦争はもうこりごりということで、世界の国々は抑止に力を入れるようになりました。

あの大戦が境目だった、それだけのことです。

あれ以来、戦争は二度としない、そう決意した、そういうことです。

その境目より前の時代や人々を、現在の我々が現在の価値観とアメリカに刷り込まれた歴史観をもとに非難するのって、とても変なことだと思うのですが、日本というのは、その変なことを戦後ずっとやり続けてきたんですねえ。

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2024年8月 2日 (金)

リベラルエリートが正義を叫ぶ理由

「ポリティカル・コレクトネス」思想が蔓延して、なんだか世の中は変な方向に進みつつあるのではないかと感じている人は少なくないと思います。

トランス女性や不法滞在外国人の傍若無人なふるまい、偏向的な価値観や歴史観の押しつけなど、近ごろの「平等」や「差別反対」や「多様性の尊重」の氾濫がもたらす異常事態は枚挙にいとまがありません。

こんなに理不尽で奇天烈な風潮をなぜ誰も止めることができないのだろうか、いったい誰が主導してこんなことになっているのだろうかと不思議で仕方がありませんでしたが、産経新聞「正論」≪贅沢な信念と経済界リベラル化≫(福井義高)を読んで、腑に落ちました。

 

誤解を生じさせないために本文を読んでいただく必要がありますが、ごく大雑把に要約すると:

≪富裕層(支配層)の贅沢な消費は、今や「形あるモノ」ではなく、「政治的に正しい」リベラルな価値観の表明である≫

上流階級としては成金と思われたくないので、「上品な贅沢」を追求します。その結果自分たちの正しい信念というものを見せびらかし始めた、というわけです。

≪しかし彼らはその「信念」を見せびらかすだけで、率先して実践するわけではない。しかも「贅沢な信念」がもたらすコストを負担するのはエリートではなく、庶民なのだ。≫

 

たしかにそうですね。

リベラルエリートは「外国人も同じ人間。受け入れる寛容さを持つべき」としきりに説教しますが、治安の悪くなった社会で損害を被るのは庶民です。

トランス女性が強引に入ってくるような公衆浴場をエリートは利用しません。

エリートたちが戦争反対と言いながら世界の平和を脅かす権威主義の国々のふるまいに真剣に立ち向かおうとしないのは自分たちの立場や金儲けには支障がないからでしょう。

自分たちは自分たちだけの安全で快適なコミュニティで生活しながら、その高みから庶民に「正しさ」を教え諭すのです。

金持ち階級の娯楽に大衆が利用されているのだとしたら、疑いもなく受け入れて無邪気にはしゃいでいる人々のなんと哀れなことでしょう。

そういえば昔からリベラルエリートってそういう人種でしたっけね。→「置いてけぼりにされないために」

 

この風潮はおかしいという声がネットでは多く挙がっていますが、テレビではほとんどそういう意見は出てきませんし、たまに言う人がいても冗談や単なる世間話で終わってしまいます。

だから変だと思っても大きなうねりにはならない。

テレビ業界がリベラルエリートに支配されているからでしょうね。

 

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