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2024年8月13日 (火)

今年も反省の季節がきた

戦争の記憶を風化させてはいけない、戦争の悲惨さを語り継がねばならない、夏になるとその声が一段と大きくなります。

来年は戦後80年。

これから先100年経っても「戦争は悲惨だ」「戦争はしてはいけない」等々、言うまでもない当たり前のことを言い続け、夏になれば恒例行事としての「戦争特集」をやっているのかなあ。

 

先日ラジオつけていてちょっと小耳にはさんだ芸人玉袋筋太郎さんの言葉が耳に残りました。
「いろんな考えがあるからね。いつまでも語り継がなきゃならないと言う人もいるし、もう語り継がなくてもいいと言う人もいる。俺の婆さんなんか『語り継がなくていい、もう終わったことなんだから思い出したくもない』ってずっと言ってたね」

「思い出したくもない」、この言葉が最も簡潔に戦争の悲惨さを表しているのかもしれません。

実際に戦時下に生きていた人の個々の体験談が重要なのは言うまでもないけれど、ただ「苦しかった、辛かった」に終始するだけでは、戦争回避のためにはあまり役に立っていないと思います。
それに、戦争の悲惨さの証言・映像などは膨大な量の記録が残されているのでこれ以上の口伝が必要なのかなとも思います。

戦争でなくてもこの世には死んでしまいたいほど辛いことや苦しいことなんてあふれ返っているのだから、悲惨だといって「だから戦争反対」って叫んでも説得力がないんですよね。

大事なことは、政治家たちや軍部がその時どのように考え動いていたのか、誰の考えや行動がきっかけで戦争に突入したのか、どこが分かれ目だったのか、戦争は仕方がなかったのか、国民はしっかり考えていたのか、新聞報道等の煽りに乗せられず戦争回避を切望していたのか、そういった検証じゃないでしょうか。
もちろんそれらについての研究はたくさんあるでしょうが、今の多くの一般国民は当時の事情をあまり熱心に知ろうとせず「戦争は悲惨だから反対」と言うだけだったり、「軍の暴走を無力な政府が止めることができず、そのせいで国民が酷い目に遭った」程度の理解しかしていません。

でも本当の反省は、なぜ戦争になってしまったのか、なぜ立ち止まることができなかったのかを詳しく知ることから始まると思います。

それにもっと大事なことは多くの国民が信じ込まされた「日本悪玉論」の一掃と、国防の備えです。

なにしろ80年ものあいだ、日本人は「日本は悪いことをした」「戦争は残酷だからやってはいけない」そればかりを言い続け、本当に大事なことをないがしろにしてきたのだから。

 

16年前に産経新聞に載った慶応大学教授(当時)阿川尚之氏の「正論」≪終戦は日本の「選択」だった≫にはこんな一節がありました。→「63年経った」

≪戦争に負けて真っ先にすべきは、敗戦の原因を徹底的に分析し、責任者を処分し、次の戦争には決して負けない備えをすることである。
それをしないで、本当は負けていない、悪いのはアメリカだ、自分たちは犠牲者に過ぎないなどと、60年間ぶつぶつ言い続けるのは、潔くないし、何の役にも立たない。
負けは負けと率直に認め、そのうえで最善の策を取らねばならない≫

 

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