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2024年8月 2日 (金)

リベラルエリートが正義を叫ぶ理由

「ポリティカル・コレクトネス」思想が蔓延して、なんだか世の中は変な方向に進みつつあるのではないかと感じている人は少なくないと思います。

トランス女性や不法滞在外国人の傍若無人なふるまい、偏向的な価値観や歴史観の押しつけなど、近ごろの「平等」や「差別反対」や「多様性の尊重」の氾濫がもたらす異常事態は枚挙にいとまがありません。

こんなに理不尽で奇天烈な風潮をなぜ誰も止めることができないのだろうか、いったい誰が主導してこんなことになっているのだろうかと不思議で仕方がありませんでしたが、産経新聞「正論」≪贅沢な信念と経済界リベラル化≫(福井義高)を読んで、腑に落ちました。

 

誤解を生じさせないために本文を読んでいただく必要がありますが、ごく大雑把に要約すると:

≪富裕層(支配層)の贅沢な消費は、今や「形あるモノ」ではなく、「政治的に正しい」リベラルな価値観の表明である≫

上流階級としては成金と思われたくないので、「上品な贅沢」を追求します。その結果自分たちの正しい信念というものを見せびらかし始めた、というわけです。

≪しかし彼らはその「信念」を見せびらかすだけで、率先して実践するわけではない。しかも「贅沢な信念」がもたらすコストを負担するのはエリートではなく、庶民なのだ。≫

 

たしかにそうですね。

リベラルエリートは「外国人も同じ人間。受け入れる寛容さを持つべき」としきりに説教しますが、治安の悪くなった社会で損害を被るのは庶民です。

トランス女性が強引に入ってくるような公衆浴場をエリートは利用しません。

エリートたちが戦争反対と言いながら世界の平和を脅かす権威主義の国々のふるまいに真剣に立ち向かおうとしないのは自分たちの立場や金儲けには支障がないからでしょう。

自分たちは自分たちだけの安全で快適なコミュニティで生活しながら、その高みから庶民に「正しさ」を教え諭すのです。

金持ち階級の娯楽に大衆が利用されているのだとしたら、疑いもなく受け入れて無邪気にはしゃいでいる人々のなんと哀れなことでしょう。

そういえば昔からリベラルエリートってそういう人種でしたっけね。→「置いてけぼりにされないために」

 

この風潮はおかしいという声がネットでは多く挙がっていますが、テレビではほとんどそういう意見は出てきませんし、たまに言う人がいても冗談や単なる世間話で終わってしまいます。

だから変だと思っても大きなうねりにはならない。

テレビ業界がリベラルエリートに支配されているからでしょうね。

 

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