正しさと優しさとしたたかさと
衆院選で自民党が惨敗したことについて、産経新聞のコラム【産経抄】は、<「悪人」になり切れなかった石破茂>と題してこんな分析をしていました。→https://www.sankei.com/article/20241028-6KFFZCFQ6RJP3CR7M7NLHGI7EA/
≪___前略___敗因は、いくつも挙げられるが、政治とカネの問題を蒸し返して「敵」に塩を送り、旧安倍派を冷遇して「味方」の士気を著しく下げてしまったのが、最大の要因だろう。
つまるところ石破茂という政治家は、「悪人」になり切れなかった。自らの判断で非公認にした候補者を不憫(ふびん)に思い、公認候補と同じく2千万円を振り込んだのも彼が「善人」の証拠である。
マキャベリは、「何事につけても善を行おうとしか考えない者は、悪(あ)しき者の間にあって破滅せざるを得ない」と五百年も前に喝破している。日本政治は、再び混迷の時代に突入してしまうのか。政治家は悪人くらいがちょうどいいとは言っても、政界に「大谷翔平」は現れぬものか、と心から願う。≫
石破さんは敬虔なキリスト教徒だそうです。
だからかどうか、正しくあろう、優しくあろう、とする心が人一倍強いのかもしれません。
だいたいこういう人は政治家には向かないのであります。
でも日本人は政治家に正しさや優しさを過度に求めがちです。
そりゃ、国民のことも考えず私利私欲に走る人は政治家になるべきではありません。
しかし、国家国民の利益を考えるからこそ、時には狡猾さや冷徹さを行使せざるを得ない事態になることだってある、それを大人の有権者は承知しておくことも必要なんだろうねえ。
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