面白いことが次から次へと
幕末・明治初頭に活躍した人々の肖像写真や市井の人々の日常を映した写真が数多く残っていますが、それらの写真にAIを用いてあたかも本物の動画のように加工した作品がyoutubeなどに多数あげられています。
坂本龍馬、土方歳三、大久保利通、伊藤博文らが笑ったり喋ったり手を動かしたり、人々が行き交う江戸の街並みが、本当にこんな感じだったんだろうなと思うほどにリアルで自然です。
見ていると長年会えなかった人にやっと会えたような、子供の時以来訪ねていない故郷に帰ってきたような、そんな感覚に襲われて涙ぐんでしまうほどです。
AIってこんなすごいことができるんですね。たいした能力だ。
AIとの会話もなかなか面白そうです。→こんな感じ。
AIのことはよくわからないのですが、そうやって人の求めに応じて色々なことをやっていくうちに、AIはどんどん進化し、生身の人間と交流するよりずっと意義深い存在になっていったりするのでしょうか。
極端なことを言えば、「生身の人間」なんて特にありがたがるようなものでもないなんて事態になってしまったりして。
いやいやそこはやっぱり哺乳動物の温かみが・・・とかいう話に戻らなくなってしまうかもしれません。
それはそれでこの世の成り行きに過ぎないのかもしれないなあと思ってしまう今日この頃。
「現実」はすべてそれぞれの人の脳が受け止めることで、その数だけ「現実」があるということなのか。
そのそれぞれの「現実」が、現実に混じり合いぶつかり合っては不都合なので「幻想」と考えるしかないのか・・・、うーん、難しい。
しかしながら、AIが神に近づく時が来るならば、この世は人の幻想で成り立っている、という謎めいた仮説や「自分」という存在の不思議が解き明かされるのもそう遠くないような気もします。
「不滅の自分」について同様の感覚を持っていたであろう哲学者の池田晶子(追悼 池田晶子様)に加えて、最近もう一人「同志」が見つかりました。
画家の横尾忠則氏です。
先々週の週刊新潮連載エッセイの中に「『自分』が無になることはあり得ないのです」という記述を見つけた時は嬉しかった。
よろしくお願いします ⇒
人気ブログランキング
関連記事:「だって脳がそう認識するのだから」
| 固定リンク

コメント